れかゝつたりした。二人は息をハア/\させて、二十分位あとには、身體中汗みどれになつて、それが湯氣になつて出た。それでも、やうやくひかさつてきた。さう、少しでもなると、二人は調子よく元氣づいてきて、「エンヤ、エンヤ」の掛聲をかけてひき[#「ひき」に傍点]出した。それからはどん/\引かさつた。力がさう要らなくなつた。
源吉は、一寸身體を休めると、「勝、棍棒は、あるべ?」ときいた。勝が「うん」と云ふと源吉はエヘ、エヘ/\と笑つた。「たまらねえぞ、畜生、野郎。」
天井で、水桶でもひつくりかへしたやうに、無茶に、雨が地面をたゝきつけ、はねかへり、ゴン/\音をして流れてゐた。眞暗なのにも拘らず、雨のために、妙に白つぽい明るさがたゞよつてゐた。
と、「バヂヤ/\/\」と水をはね返す音が起つたが、すぐそれツ切りだつた。一寸すると、又「バヂヤ/\」と水がはねかへつた。それからすぐ續いて、今度はもつと大きく「バヂヤ/\」となつた。網がだん/\引き寄せられてきた。
[#ここから2字下げ]
それ引いた、それ引いた。
女子《あねこ》の××を、それ引いた、それ引いた。
それ引いた、それ引いた、
嬶の××を、それ引いた、それ引いた。
アヽ、エンヤこらさと、エンヤこらさと。
どツこいしよ、どつこいしよ。
[#ここで字下げ終わり]
源吉は息をきりながら、はやし[#「はやし」に傍点]をつけて、その大きな圖體ををどる時のやうに振つた。心持腰をまげて、内股を「鎌」にしながら、身體に拍子をとつた。それが源吉をまるで子供々々にさせた。網がだん/\狹められてくると、鮭がまるで板で水の面をたたきつけるやうな音をたてた。
「源、々、々!」勝が呼んだ。
「うむ?」
「あらツ! 見ろ。」
夜は眞暗だつたのだ。――黒い衣《きれ》で眼かくしされてゐるやうに暗かつた。見ると、そのなかに、然し眼をひよいと疑ふ程に、鱗光が、ひらめいた。その次にすぐ、力強い、水をたゝきつける音が起つた。
「秋味だ!」源吉は大きな聲を出した。「でけえど、/\」だん/\水の「ばぢや/\」がひどくなつてきた。子供が水のかけ合ひでもしてゐるやうだつた。そのうちに、二、三匹は砂濱にはね上つたらしく、その肉付きの厚い身體を打ちつけながら、あばれた。源吉は勝に網をひかせて、自分は棍棒をもつて、川岸に降りた。網のそばまでくると、源吉は、心分量で十匹以上鮭が入つてゐることが分つた。いきなり横ツ面をたゝきつけるやうに、尾鰭ではじかれて、水と砂がとんできた。
「野郎!」
源吉は顏を自分の雨でぬれた袖でぬぐふと、棍棒をふりあげた。見當をつけて、鮭の鼻ツぱしをなぐりつけた。
キユツン! といふと、尾鰭を空にむけたまゝ、身をのばした。そのまゝ一寸さうしてゐた。が、尾鰭が下つて行つた。そして全くぐつたりしたやうに、尾鰭が下へつくと、ピク/\と身體が二、三度動いた。そしてそれからもう動かなかつた。
源吉は、勝を呼んだ。勝が來たとき、源吉はものも云はずに、もう一匹の鼻へ一撃を加へた。勝はギヨツとして立ちすくんだ。源吉は、息がつまつた笑ひ方をした。源吉は一匹、一匹棍棒でなぐりつけて行つた。勝はそれをすぐえら[#「えら」に傍点](鰓)に手をかけて引つ張つて、舟にのせてあつた石油箱に入れた。ひつぱる度にピクツ/\と身體を動かすのや、まだ息だけはしてゐるらしく、鰓だけが動いてゐるのがあつた。
源吉はさうやつてゐるうちに、妙に強暴な氣持になつてゐた。彼は一匹々々、「野郎」「畜生」「野郎」「畜生」と、唇をかんだり、齒をかんだりしながら、さうした。變に顏の筋肉が引きつつて、硬ばつたりした。そして氣が狂つたやうに、滅多打ちをした。
さうかと思ふと、普段から、「野郎奴」と思つてゐたものの名を一々云ひながら、なぐりつけて行つた。そのことが、又、彼を不思議なほどにひきずつて行つた。
ひよいとすると、生温いのが、顏にとんでくることがあつた。顏につくと、すぐねつとりとして、氣味が惡かつた。血だつた。源吉は一匹なぐり殺す度に、一匹、二匹と數へてゐた。七匹、八匹――となつて行く度に、だん/\大きな魚のはね返る音が、少なくなつて行つた。十匹まで數へて行くと、源吉のところから少し離れてゐたところで、一匹はねかへす音がしただけだつた。源吉はその方へ行かうとして、鮭のヌラ/\した身體をふんだ。思はず、源吉でさへ、ひやりとした。深夜に、鐵道で、轢死人でもふみつけるやうな氣がした。「十一匹――と。」源吉はさう云つて、耳をすましてみた。もう音がしなかつた。急に雨の音だけ源吉の耳についた。「十一匹か」と思つた。
そして、「もう終りだ。十一匹。」と勝に云つた。
勝はそれを二つの石油箱に入れると、背負へるやうにした。
「網と舟はどうするだ?」
「舟か?――
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