に顏がくつつきさうになる程に突き出して、鼻の側に出てゐる何かを、一生懸命しぼり取らうとしてゐた。口を變にゆがめて。源吉は頭をもとにもどすと、それにも、何んにも云はなかつた。
「困つた。」
 今度はお文が手拭で顏をふき出した。
「春ちやんば誘つて行くんだけど、お母ア居なかつたら出られねえべよ。――兄、お祭りさ行くべ?」
 初めて顏を鏡から離して、源吉の方を見て、さう云つた。裏で、久し振りに立てたお湯に入つた後なので、お文の顏は、スベ/\と、白く、綺麗になつてゐた。源吉がお文の顏を見ると、お文は一寸顏を赤くして、「どうする?」と、工合惡さうに云つた。
 源吉は又頭をもとに返して、別な方にものを云ふやうに、初めて、
「行《え》つてもえゝ。」
 お文は奧に入つて行つた。そして着物を着かへると外へ出て行つた。
「フン、畜生!」
 源吉は立ち上つた。が、何をするためか、自分で分らなかつた。窓から外を見た。が、眞暗で、(それに内が明るいので)外はちつとも見えなかつた。臺所へ行つて、源吉は水を、二杯ほど飮んだ。爐邊に歸つてきたが、坐るのか、どうか、源吉は考へつかなかつた。源吉は、そこにしばらく、ぼんやり立つてゐた。四圍《あた》りは、靜かだつた。ランプが、時々明るくなつたり、何處かへ吸ひこまれるやうに、暗くなつたりした。裏口の側にある馬小屋の馬さへ、しつぽの音も、蹄で床をたゝく音もさせなかつた。祭りの場所も餘程離れてゐるので、何も聞えなかつた。源吉は少し、わけの分らないいらだたしさを覺えてきた。表を誰か通つて行つた。何か話してゐる。初め源吉には何か分らなかつた。
「ホラ、なア、星とんだべ。」
「そこ、穴あるど。」
「あの星なあ、粉みだいになつて、落ちでくるんだど。――たまに、どしーんツて落ちてくることもあるんだどよ。」
 相手が何か云つた。と、甘つたれるやうな、唇をとんがらした聲を出して、
「早くえがねば、踊り終るからなーア。」と、十一、二の子供が云ふのが聞えた。
「アツ――又、なア!」
「お母ア遲くてよーオ。」半分泣聲だつた。
 遠くなつて、すぐ聞えなくなつた。又、もとの靜かなのにかへつた。
 源吉は、自分の呼吸が聞えるのを知ると、その、變な靜かさが不氣味に思はれてきた。彼は坐らうと思つた。その時、鏡臺についてゐる小さい引出から、手紙が半分出てゐるのを、源吉がフト見た。お芳からの手
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