。ええなア!」
 街にはどの家にも宿割の紙が貼らさっていた。――市街地に出ると、銃を肩にかけ、胸のボタンを二つ程外して、帽子の下にハンカチをかぶった兵隊が三人、靴底の金具をジャリジャリさせて、ゆるい歩調でやってきた。
「S村って、これですか。」――市街地を指さした。片手に地図を持っていた。
 由三が健より先きに周章《あわ》てて答をひったくった。
「んですよ。」と云った。
 それだけで、それが由三には大した名誉なことに思われた。
 銃声は東の方から起っていた。それで基線道路から殖民区域七号線へ道を折れて入った。少し行くと、処々道に見慣れなく新らしい馬糞が落ちていた。
「あらッ! あらッ! あら、なア!」
 由三が頓狂に叫んだ。田圃《たんぽ》を越して、遠く、騎兵の一隊が七、八騎時々見え、かくれ、行くのが見えた。――もう、由三は夢中だった。河堤に出ると、村の人達が二三十人かたまって、見物していた。由三は健の手を離れて、先きに走り出してしまった。見ていると、人の腋の下を潜り、グングン押しわけて一番前へ出てしまった。
 百人近くの兵隊が銃を組んで休んでいた。ムレた革と汗の匂いが、皆の立っている処までしていた。――日蔭になっているところには、上半身を裸にして、仰向けに寝ているものが二三人いる。どの兵士も胸の中にがっくり頭を落したり、横になったり――皆ぐったりしていた。然し顔だけは逆上せたように、妙に赤かった。それが気になった。汗が上衣まで通って、背の出張ったところ通りの形にグッショリ濡れていた。
「どうしたんだべな。」
「追《ぽ》われて来たんだべよ。――見れ、弱ってる!」
 不意に、あまり遠くない処で銃声がした。雑木林から吹き上げられたように、鳥の群が飛び立った。続いて銃声がした。――と、上官らしいのが列外へ出て、何か号令をかけた。ガジャガジャと金具の音が起った。が、皆はどうにもならない程、疲れ切っていた。
「グズグズしちアいかん! グズグズしちアいかん!」
 上官がカスれた声で怒鳴った。
「やっぱり兵隊って、ええものだね。――ラッパの音でもきいたら、背中がゾクゾクしてくるからな。」
 健の隣りで話している。――「青島」で右手がきかなくなってから、働くことも出来ず、半分乞食のような暮しをしている「在郷軍人」だった。
「戦争だって、考えたり、見たりする程おッかねえもんでねえんだ。ワアッて行けば、何んしろ……」
 皆に聞えるように、わざと声を高めた。
 兵隊は歩きづらい砂地を、泥人形のような無恰好さで、ザクザク歩き出した。だまりこくって、空虚に眼を前方の一定のところにすえたきり、自分のではない、何か他のものの力で歩かせられているように、歩いていた。病人を無理に立たせて、両方から肩を組み、中央《まんなか》にして歩かせた。が、他愛なく身体がブラ下ってしまった。頭に力がなく、歩く度にグラグラッと揺れた。
 皆はゾロゾロ堤を引き上げた。雑木林の中から、その時だった、突如カン声が上った。帽子の色のちがった別な一隊が、附剣をして「ワアッ、ワァッ!」と叫びながら、さっきの兵隊の後横へ肉迫していた。――不意を喰ってしまった。立ち直る暇もなく、そのまま隊伍を潰して、横へそれると、実りかけている田の中へ、ドタドタと入り込んでしまった。見ている間に、靴の下に稲が踏みにじられてしまった。
「あ、あッ、あ――あッ、あッ!」
 田の向うに一かたまりにかたまって見ていた小作人が、手を振りながら夢中に駈けて来るのが見えた。健達も思わず走った。――百姓達には、それは自分の子供の手足を眼の前で、ねじり取られるそのままの酷《むご》たらしさだった。
「何するだ!」
「何するだ! 稲※[#感嘆符二つ、1−8−75] 稲※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
 然し兵隊のワアッ、ワアッという声に、それはモミ潰されてしまった。士官は分っていて、号令をやめなかった。――もう百姓は棒杭のように、つッ立ってしまうよりない!
 ようやく「休戦ラッパ」が鳴った。
 兵卒達はそれでも稲を踏まないように、跳ね跳ね田から出てきた。
 士官は汗をふきながら、プリプリして、
「後で主計が廻ってくるんだから、その時申告すれアいいんだ。」
 それは分っている! 然し損害を受けただけを申告すれば、その度に「これを種にして儲けやがるんだろう。」「日本国民として、この位の損害をワザワザ申告するなんてあるか。」と云われる。「帝国軍人のためだと云って、申告しない百姓さえあるんだぞ。」そんな事も云う。――貧乏な、人の好い小作人はどうすればいいか?――小作料を納める時になれば、地主はそんなことを考顧さえもしてくれない。
 兵士達はそれ等の話を気の毒そうに、離れてきいていた。――矢張り小作人の伜達がいるんだろう、健はそのことを考え
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