市街地をよけて、畔道へ入って行った。
「だんだんこッたら事《ごと》ばかし仕《し》ていられなくなるど。」
 別れる時健が云った。
 節はだまって唇をかんだ。
 健が家へ帰って床に入り、ウトウトしかけた頃、表のギシギシする戸が開いた。
「恵か?――又だな……。何処さ今頃迄けづ[#「けづ」に傍点]かったんだ?」
 暑苦しいので寝られずにいた母親が、眼をさまして声をかけた。お恵はだまったまま上ってきた。寝床のそばで、暗がりに伊達巻を解くシュウシュウという音だけがした。
[#改段]

    四


     「嘘こけッ!」

 同じ石狩川でも余程上流になっていたが、雑穀や米を運ぶために、稀《ま》れに発動機船がポンポンと音をさせて上ってきた。その音は日によっては、ずウと遠く迄聞えた。「ホ、発動機船だ。」何処にいる小作でも、腰をのばしながら音をきいた。
 由三は村道を一散に走った。帯の結び目が横へまわって、前がはだけ、泥のはじけた汚い腹を出しながら、ムキになって走った。――発動機船の音をきいたのだ。他の子供も畔道を走ってくる、それが小さく見える。やがて村道で一緒になり、一緒に走り出した。
 皆は堤の突端へ並んで腰を下ろし、足をブラブラさせた。河はくねって、音もたてず、「流れ」も見せずに流れていた。――深かった。
 音はしていても、なかなか発動機船は姿を見せなかった。
そして、ひょッこり――まるっきりひょっこりと、青ペンキの姿をあらわした。青空に透きとおるような煙の輪を、ポンポン順よく吹き上げながら、心持ち身体をゆすって、進んでいるか、いないか分らない程の速さで上ってきた。艀《はしけ》を後に曳いていた。と、皆は手と足を一杯に振って、雀の子のように口をならべて、「万歳!」を叫んだ。
 舵機室と機関室から、船の人が帽子を振って何か云った。皆は喜んで、又「万歳!」を叫んだ。
「な、あのバタバタッてのな。」――由三が隣りの奴の手をつかんで、自分の胸にあてた。「な、胸ドキッドキッてるべ、これと同じだんだとよ。――あれ船の心臓だとよ。俺の姉云ってたわ。」
「んか――?」
「嘘こけッ!」――三人目が首を突き出した。「あれモーターッてんだ。」
「モーター? モーターッたら、灌漑溝の吸い上げでねえか。えーえ、異うわ、覚《おべ》だ振りすなよ!」――由三は負けていない。
「んだ、んだ!」端《はし》の方が同意した。
 ――小さい口論の渦が巻く。
 突然S村で、煙火が挙がった。
 真夏の高い青空に、気持よく二つにも、三つにもこだまをかえして、響き渡った。
「ワアッ!」
 由三達はカン[#「カン」に傍点]声をあげて、跳ね上った。
「さ、遅れたら大変だど!」
 皆はもと来た道を走り出した。遅れたのが、途中で下駄を脱いだ。
 岸野農場の主人が、奥様と令嬢同伴で、農場見物にやって来ることになっていた。――それが今日だった。
 東京にいる、爵位のある大地主も、時々北海道へやってきて、小作人や村の人達を「家来」に仕立てて、熊狩りをやった。
 ――S村では、村長を始め※[#「┐<△」、屋号を示す記号、276−上−15]の旦那、校長などは大臣でも来たように「泡を食って」いた。

     地主、奥様、御令嬢

 自動車二台が真直ぐな村道を、砂塵を後に煙幕のようにモウモウと吹き上げながら、疾走してきた。岸野農場の入口には百十七、八人の小作が、両側に並んで待っている。町へ一日、二日の「出面《でめん》」を取りに行っているものも休んで出迎えた。
 暑かった。皆は何度も腰の日本手拭で顔をぬぐった。
「もう少しな、俺達の忙がしい時にな、来てもらったらええにな。」
「働いてるどこば見てければな。」
「ん、ん、んよ。」
「奥様は何んでも女の大学ば出た人だと。」
「大学?――女の? ホオ!」
「とオても偉い、立派なひとだとよ。」
「女、大学ば出る? 嘘云うな、女の大学なんてあるもんか。……まさか、馬鹿ア、女が……。」
「んだべ、何んぼ偉いたって!」
 一かたまり、一かたまり別な事を云っていた。
「な、旦那もう少し優しい人だら一生ケン命働くんだどもな。」
「働いだ事《ごと》無えから分らないさ。」
「今度《こんだ》あまり急で駄目だったども、こんな時あれだな、皆で相談ば纏めて置いてよ、お願いせばよかったな。」
 阿部はみんなの云うのを聞いていた。――阿部には、今度「見物」に来るということをワザと管理人がその前の晩になって知らせた魂胆がハッキリ分っていた。二年程前、それで管理人が失敗していた。皆が普段からの不平を持ち寄って、岸野の旦那が来たとき、それを嘆願した。その事から大きな事件になりかけた事があったからだった。――で、今度は管理人に出し抜かれてしまった。
 自動車の後の埃の中をベタベタな藁草履をはいた子
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