は「資本家」になっている。ところが、下の部分の資本家の方が、ドンドン上の地主の部分を侵して行く傾向だそうだ。――だから、今時の地主は地主自身、小作人が可哀相だとか、もう少しこの社会に当てはまるように改良してやりたいとか、そんな事に少しでもかまっていられない。逆に自分の方がおかしくなる。小作からは取れるだけ取ったら得、皆そう思っている。
 もう小作人は地主様を当てにして、何んとかして下さるだろう、と待っていたら、百年経ったって待ちぼうけを食うのが落ちだ。研究会の人が農村について云った。今のこの世の中の組織――しくみ[#「しくみ」に傍点]が変らない以上、どんな事をしても農民は駄目になって行く。勿論この忙がしい都会の制度に当てはまるように直して行くこと、例えば百姓がチリヂリ、バラバラに仕事をすると、どうしたってヒドイ目に会うから、まア協同組合、協同耕作、協同経営そんなものでも作って、中に入る猾るい商人に儲けさせない方法もある、然しそれも程度もので、ウマク行く筈がない。――だから、何んと云ったって、ドンドン小作争議をやって、小作人の生活を向上させて行くことだ。これより無い。――要するに、ロシアのように労働者と百姓だけで国を治めて行かない限り、どうしてもウマク行かない。――皆この意見だ。云われて見れば、どれもこれも胸へピンピン来るではないか。
 農村に一国の政治、経済の中心地があったことがあるか。享楽、外交、流行、芸術の中心地であったことがあるか、――考えるさえコッケイだ。昔五つか六つでしかなかった「都会」が短い間にどんなに急激に殖えたか。――人口から云っても、もう半分以上は都会に集ってしまっている。これだけ見ても分る。然し「都会」と「農村」は何処まで行っても敵、味方ではないのだ。ただ、今の世の中のしくみ[#「しくみ」に傍点]がそうさせているので、で、そのように見えているだけだ。
 岸野のことでは面白く話してくれた。――仮りにS村から年五千円上がるとすると、彼奴はそれをまず拓殖銀行に預金する。(一番上品に、知らん振りをしているが、「銀行」というものこそ、百姓の咽喉をしめる親方の総元締であることを見ている百姓が一人でもいるか!)――すると、その金は拓殖銀行から、又農業資金として、年賦貸付になって出て行く。それを直接借りるのは自作農か※[#「┐<△」、屋号を示す記号、301−上−
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