かっていた――背が粟立つほど、底寒かった。

 健達の、このS村は、吹きッさらしの石狩平野に、二、三戸ずつ、二、三戸ずつと百戸ほど散らばっていた。それが「停車場のある町」から一筋に続いている村道に、縄の結びこぶのようにくッついていたり、ずウと畑の中に引ッ込んでいたりした。丁度それ等の中央に「市街地」があった。五十戸ほど村道をはさんで、両側にかたまっていた。
 平原を吹いてくる風は、市街地に躍りこむと、ガタガタと戸をならし、砂ほこりをまき上げて、又平原に通り抜けて行った。――田や畑で働いていると、ほこりが高く舞い上りながら、村道に沿って、真直ぐに何処までも吹き飛ばされて行くのが見えた。
 どっちを見ても、何んにもない。見る限り広茫としていた。冬はひどかった。電信柱の一列が何処迄も続いて行って、マッチの棒をならべたようになり、そしてそれが見えなくなっても、まだ平であり、眼の邪魔になるものがなかった。所々箒をならべ立てたような、ポプラの「防雪林」が身体をゆすっていたり、雑木林の叢が風呂敷の皺のように匐っていた。
 S村の外れから半里ほどすると、心持ち土地は上流石狩川の方へ傾斜して行っていた。河近くは「南瓜」や「唐黍」の畑になっていたが、畑のウネ[#「ウネ」に傍点]とウネ[#「ウネ」に傍点]の間に、大きな石塊《いしくれ》が赤土や砂と一緒にムキ出しに転がっていた。石狩川が年一度、五月頃氾濫して、その辺一帯が大きな沼のようになるからだった。――畑が尽きると、帯の幅程の、まだ開墾されていない雑草地があり、そこからすぐ河堤になっていた。子供達は釣竿を振りながら、腰程の雑草を分けて、河へ下りて行った。
 河向うは砂の堤になっていて、色々な形に区切られた畑が、丁度つぎはぎした風呂敷のように拡がっていた。こっちと同じ百姓家の歪んだ屋根がボツ、ボツ見えた。

     「移民案内」

「内地の府県に於ては、自作地は勿論、小作地と雖も新に得ることは仲々困難であるのに反して、北海道に移住し、特定地の貸付をうけ、五ヵ年の間にその六割以上を開墾し終る時は、その土地を無償で附与をうけ、忽ち五町歩乃至十町歩の地主[#「地主」に傍点]となるを得、又資金十分なるものは二十町歩土地代僅か八百円位で、未墾地の払下げを受け得べく、故に勤勉なるものは、移住後概して生活に困難することなし……。」(「北海道移住案内」
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