いで、手に持った。走りながら、「母さ云ってやるから!」何度もそれを繰りかえした。
 母親はすぐ裏の野菜畑の端で、末の子を抱えて小便《おしッこ》をさせていた。鶏が畠のウネ[#「ウネ」に傍点]を越えて、始終キョトキョトしながら餌をあさっている。
「ほら、とッと[#「とッと」に傍点]――なア。とッと、こ、こ、こ、こ、こッてな。――さ、しッこ[#「しッこ」に傍点]するんだど、可愛《めんこ》いから……」そして「シー、シー、シー。」と云った。
 子供は足をふんばって、「あー、あー、あば、ば、ば、ば……あー、あー」と燥ゃいだ。
「よしよし。さ、しッこ[#「しッこ」に傍点]、しッこ、な。」
 母親はバタバタする両足を抑えた。
 その時、身体をびッこに振りながら、片手に下駄を持って、畑道を走ってくる由三が見えた。それが家のかげに見えなくなった時、すぐ、土間で敷居につまずいて、思いッ切り投げ出されたらしく、棚から樽やバケツの落ちる凄い音がした。と、同時にワアッ[#「ワアッ」に傍点]と由三の泣き出すのが聞えた。
「犬餓鬼! 又喧嘩してきたな。……さ、しッこもうええか?」
 小指程のちんぽ[#「ちんぽ」に傍点]の先きが、露のようにしめっていた。
「よしよし、可愛《めんこ》い、可愛い。」
 由三は薄暗いベトベトする土間に仰向けになったまま、母親を見ると、急に大きな声を出し、身体をゴロゴロさせて泣き出した。

     S――村

 由三は空の茶碗を箸でたたき乍ら、「兄《あん》ちゃ帰らないな……」と、唇をふくれさせていた。
 兄の健は、畠からすぐ市街地の「青年訓練所」に廻ったらしく、夕飯時に家に帰らなかった。――健は今年徴兵検査だった。若し、万一兵隊にとられたら、今のままでも食えないのに大変なことだった。「青年訓練所」に通えば、とにかく兵隊の期間が減る、そう聞いていた。それだけを頼みに、クタクタになった身体を休ませもせずに通っていた。
 母親は背中へジカ[#「ジカ」に傍点]に裸の子供を負って、身体をユスリユスリ外へ出てみた。――子供は背中でくびれた手足を動かした。その柔かい膚の感触《さわり》がくすぐったく、可愛かった。
「ええ子だ、ええ子だ。」母親は身体を振った。――一度、こんな風に負ぶっていて、子供をすっぽり、そのまま畑へすべり落してしまったことがあった……。
 野面《のづら》は青黒く暮れか
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