ていた。
 田を踏みにじられた隣りの農場の小作が、壊れた瀬戸物でもつなぎ合わせるように、田の中に入って行って、倒れた稲を起しにかかった。――健にはそれは見ていられなかった。

     「下稽古かも知れないど」

 兵隊の泊った朝、由三は誰よりも先きに起きた。――吃驚《びっくり》したようにパッチリ眼を開けて、家の中をクルックルッと見廻わすと、ムックリ起き上ってしまった。前の日に磨いて立てかけて置いた銃や剣や背嚢の前に坐ると、独言を云いながら、ちょッぴりちょッぴりいじった。魚が餌《えさ》でもつッつくように。
 母親が起きてきた。――母親は吃驚して、いきなり、由三の耳をひねり上げた。
「これッ! 大切なものさ手ばつけて、おがしくでもしてみれッ!」
 健は眼をさましたまま、寝床にいた。――前の夕方、健が納屋から薪を取り出していたとき、すぐ横で、井戸の水をザブザブさせながら足を洗っていた兵隊が話しているのを聞いた。
「ここの家ヒドイな……」
「うん、ま、御馳走はないな――」
「それでも……」
 あと一寸聞えなかった。息をつまらせて笑っている。
「シャンだからな。」
「それに……な、色ッぽいところがあるぞ。」
「あれか、鄙にもまれなる……」
「……埋合せか。」
 声を合わせて笑い出してしまった。
 健は暗がりの納屋の中にいて、一人でカアーッと赤くなった。
 健は昨日からのお恵の燥《はしゃ》いだ、ソワソワした態度にムカムカしていた。
 兵隊が起きると、由三は金盥に水をとってやったり、下駄を揃えてやったり、気をきかして先きへ先きへと走り廻った。お恵は日焼けのした首に水白粉を塗っていた。塗ったあとが、そのままムラになって残っていた。
 飯はお恵が坐って給仕した。すると、由三が口を突がらした。
「兵隊さんに女《めっけア》なんて駄目だねえ。――俺やるから、姉どけよ!」
 兵隊は苦笑してしまった。
 母親は又昨夜のように、御馳走のないことをクドクド繰りかえした。
 昼過ぎから土砂降りになった。六時頃、兵隊は身体中を泥だらけにして帰ってきた。――ものも云えず、一寸つまずいただけで、そのまま他愛なくつんのめる程疲れ切っていた。――母親はそれを見ると、半分もう泣いていた。兵隊にとられるかも知れない健のことが直ぐ考えられた。
 その晩は最後であり、それにゆっくり出来ると云うので、健は母親に云いつ
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