云った。
「ようやく半作よ。」
「小作料納めたら、どうなる?」
「ン――。食うもの無くなるよ。んでも、そこばさ、何んとかウマクやって行くことば考えたらッて思うんだ。」
吉本にでも頼まれて来たな、と健は思った。
健は皮肉に云った。――「伴さんがこんな事云ってたが、本当かな。来年の春、H町の議員選挙で岸野さんが出るから、地盤ば荒されないように、今年だけは小作人ば誤魔化した方がええッて蛇吉が云ってるッて、ええ? 俺達食うか、食えないことば、そんなことでどうにも都合するんだナ!」
「…………」武田はだまった。「まさか。」
武田は話を別な方にそらして、帰って行った。撥の悪さをかくすように、暗い表で、
「明日も天気だ。」
と云うのが聞えた。
「ああいうのば、犬ッて云うんだ。」――畜生犬!
――他の農場では小作料を下げたとか、下げるとか、そんな噂がすぐ岸野農場にも入ってきて、その度に皆をアヤフヤに動かした。
常任の交渉委員、伴、佐々爺、武田が吉本管理人のところへ何度も足を使った。
「蛇吉の野郎、こんなに事情が分ってて、それで一から十、岸野の肩ば持ちやがるんだ。――今中さはさまって、野郎ジタバタしてる!」
帰りに健のところへ寄ると、佐々爺、武田の前で、伴がズバズバ云った。
もう岸野の返事だけだった。それだけで決まる。――それを待てばよかった。
そうだ、十年も経っている
夜が長くなった。
土間の台所で、手しゃくで飲む水が歯にしみた。長い間の無理な仕事で、小作の板のようになった腰が、今度はズキズキと痛《や》んだ。母親は由三に銭《ぜんこ》をくれると云っては、嫌がる由三をだまして腰をもませた。――夜は静かだった。馬鈴薯を炉の灰の中に埋めたり、塩煮にしたりして、それを食いながら、腹這いになって色々な話をした。由三も皆の中に入って、眼だけをパッチリ見張りながら、頬杖をして話を聞いた。好きだった。――母親は昔のことをよく覚えていた。
床に入っても、身体が痛んで寝つけなかった。暁方まで何度も寝がえりを打った。――過ぎ去ってしまった生涯が思いかえされる。――こんな「北海道」に住むとは思わなかった。一働きをして、金を拵えたら、内地《くに》へもどって、安楽に暮らそう、まア、二三年もいて――皆そう思って、津軽海峡を渡ってきた。だが、もう十年も経っている。今更のように自分
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