母さんかね。」と、荒ッぽい浜言葉で云って、「んか、んか」と独《ひと》りうなずきをした。それはまるで人を見下げた、傲慢《ごうまん》な調子だった。そして帰りに一緒になることにしていたのに、そのおかみ[#「おかみ」に傍点]さんはさッさと自分だけ先きに帰って行ってしまった。背中の子供は頭が大きくて、首が細く、歩くたびにガク/\と頭がどっちにも転《ころ》んだ。
上田の進ちゃんのお母アは、とう/\気が狂ったとみんなが云った。お前がこっちにいた時知っているだろう、「役所バカ[#「バカ」に傍点]」と云って、五十恰好の女が何時でも決まった時間に、市役所とか、税務署とか、裁判所とか、銀行とか、そんな建物だけを廻って歩いて、「わが夫《つま》様は米穀何百俵を詐欺《さぎ》横領しましたという――」きまった始まりで、御詠歌のように云って歩く「バカ」のいたのを。ところが上田のお母アは、午後の三時になると、きまって特高室に出掛けて行って、キャンキャンした大声でケイサツを馬鹿呼ばりし、自分の息子を賞《ほ》め、こんなことになったのは他人《ひと》にだまされたんだと云い、息子をとられて、これからどう暮して行くんだ――それだけの事を文句も順序も同じに繰りかえして、進は腕のいゝ旋盤工で、これからどの位出世をするのか分らない大事な一人息子だからと云って、大きな蒲団を運んできたり、暖かい煮物の丼を大事そうに両手にかゝえて持ってきたり、それを特高が拒ばもうがどうが、がなり[#「がなり」に傍点]立てゝ、無理矢理置いて行く。そして次の日には又マントを持ってきたり、手袋を持ってきたりする。特高室は上田のお母アの持ってくるもので一杯になってしまった。警察では「又、気狂いババ[#「気狂いババ」に傍点]が来た」といって取り合わなかった。それでもお母アは平気だった。――あまりやかましいので、一度特高室で進と面会をさしてやった。息子が係りの刑事に連れられて、入ってきたのを見るや否や、いきなり大声で「こン畜生! この親不孝の馬鹿野郎|奴《め》!」と怒鳴《どな》りつけた。刑事の方がかえって面喰らって、「まあ/\、こういう時にはそれ一人息子だ。優《やさ》しい言葉の一つ位はかけてやるもンだよ。」すると、くるりと向き直って「えッ、お前さんなんて黙ってけずかれ[#「けずかれ」に傍点]!」とがなりかえした。ところが、その進が右手一杯にホウ[#「ホウ」に傍点]帯をしているのを見付けて、「どうしたんだ?」ときいた。「ん、しもやけ[#「しもやけ」に傍点]だ。」と進が返事をすると、見ている間に、お母アの眼がつり上がって、薄い唇がピリピリと顫《ふる》え出した。「さ、警察の人ッ! どうしてくれるんだ? 人民を保護するとか何ンとか、口ではうまい事云って、この大事な息子の身体をこんなことにしてしまって、どうする積《つも》りなんだッ! さッ!」特高たちは、あ、又始まったと云って、自分たちの仕事にとりかゝって、見向きもしなかった。
検挙は十二月一日から少しの手ゆるみもしないで続いた。そっちにいるお前はおかしく思うだろうが、残された人達が「戦旗」の配布網を守って、飽く迄も活動していた。然し、とう/\持って行き処のなくなったその人達は最後に、重要書類と一緒に家へ持ってきた。もうやられているので、二度も「ガサ」が無いだろうと云うのだ。六十に近いお前のお母はそれをちアんと引受けた。淋しいだろうと云うので、泊りにきていた親類の佐野さんや吉本さんが、重ね重ねのことなので、強こう[#「こう」に傍点]に反対した。だが、お前の母は、「この仕事をしている人達は死んでも場所のことなどは云わないものだから、少しも心配要らない。」と云った。
山崎のガラ/\お母さんが時々元気をつけに、やってきてくれたが、このお母さんの前だと、お互の息子や娘のことを話して、お前の母はまるで人が変ったようにポロ/\涙を流した。山崎のお母さんというのは相当教育のある人で、息子たちのしている事を、気持からばかりでなしに、ちアんとした筋道を通しても知っていた。「息子が正しい理窟から死んでも自分の仕事をやめないと分ったら、親がその仕事の邪魔をするのが間違で――どうしてもやらせたくなかったら、殺せばいゝんでね。」そんな風に何時でも云っていた。それに生来のガラ/\が手伝っていたわけである。山崎のお母さんは警察に行っても、ガン/\怒鳴らなかったが、自分の云い出したことは一歩も引かなかったし、それを条理の上からジリ/\やって行った。ケイサツでは上田のお母アはちっとも苦手でなかったが、この山崎のお母さんには一目おいていたらしい。山崎のお母さんに比らべると、お前の母は小学校にも行ったことがないし、小さい時から野良に出て働かせられたし、土方部屋のトロッコに乗って働いたこともある純粋の貧農
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