のだ。
保釈になった最初の晩、疲れるといけないと云うので、早く寝ることにしたのだが、田口はとうとう一睡もしないで、朝まで色んなことをしゃべり通してしまった。自分では興奮も何もしていないと云っていたし、身体の工合も顔色も別にそんなに変っていなかったが、約一年目に出てきたシャバは、矢張り知らずに彼を興奮させていたのだろう。
これは、田口の話である。別に小説と云うべきものでもない。
ズロースを忘れない娘さん
S署から「たらい廻《ま》わし」になって、Y署に行った時だった。
俺の入った留置場は一号監房だったが、皆はその留置場を「特等室」と云って喜んでいた。
「お前さん、いゝ処《ところ》に入れてもらったよ。」と云われた。
そこは隣りの家がぴッたりくッついているので、留置場の中へは朝から晩まで、ラジオがそのまんま聞えてきた。――野球の放送も、演芸も、浪花節も、オーケストラも。俺はすっかり喜んでしまった。これなら特等室だ、蒸《む》しッ返えしの二十九日も退屈なく過ごせると思った。然し皆はそのために「特等室」と云っているのではなかった。始め、俺にはワケが分らなかった。
ところが、
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