二日目かに、モサ(スリのこと)で入っていた目付のこわい男が、ニヤ/\してながら自分の坐っている側へ寄って来てみれと云った。俺は好奇心にかられて、そこへズッて行くと、
「あすこを見ろ。」
 と云って、窓から上を見上げた。
 俺はそれで「特等室」の本当の意味が分った。
 高い金棒の窓の丁度真ッ上が隣りの家の「物ほし」になっていて、十六七の娘さんが丁度洗濯物をもって、そこの急な梯子《はしご》を上って行くところだった。――それが真ッ下から、そのまゝ見上げられた。
 その後、誰か一人が合図をすると、皆は看守に気取られないように、――顔は看守の方へ向けたまゝ、身体だけをズッて寄って行くことになった。
「ちえッ! 又、ズロースをはいてやがる!」
 なれてくると、俺もそんな冗談を云うようになった。
「共産党がそんなことを云うと、品なしだぜ。」
 とエンコ(公園)に出ている不良がひやかした。
 よく小説にあるように、俺たちは何時でもむずかしい、深刻な面をして、此処《ここ》に坐ってばかりいるわけではないのだ。この決してズロースを忘れない娘さんに対する毎日々々の「期待」が、蒸しッ返えしの長い長い二十九日を、案外のん気に過ごさしてくれたようである。勿論《もちろん》その間に、俺は二三度調べに出て、竹刀《しない》で殴《な》ぐられたり、靴のまゝで蹴《け》られたり、締めこみをされたりして、三日も横になったきりでいたこともある。別の監房にいる俺たちの仲間も、帰えりには片足を引きずッて来たり、出て行く時に何んでもなかった着物が、背中からズタ/\に切られて戻ってきたりした。
「やられた」
 と云って、血の気のなくなった顔を俺たちに向けたりした。
 俺たちはその度に歯ぎしりをした。然し、そうでない時、俺たちは誰よりも一番|燥《はし》ゃいで、元気で、ふざけたりするのだ。
 十日、七日、五日……。だん/\日が減って行った。そうだ、丁度あと三日という日の午後、夕立がやってきた。
「干物! 干物!」
 となりの家の中では、バタ/\と周章《あわ》てゝるらしい。
 しめた! 俺はニヤリとした。それは全く天裕《てんゆう》だった。――今日は忘れるぞ。
 雨戸がせわしく開いて、娘さんが梯子を駈け上がって行く。俺は知らずに息をのんでいた。
 畜生! 何んてことだ、又忘れてやがらない! 俺たちはがっかりしてしまった。
「六号!
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