小径の、あちこちに赤い着物が蹲んで、延び過ぎた草を呑気《のんき》そうに摘んでいた。黒いゲートルを巻いた、ゴム足袋の看守が両手を後にまわして、その側をブラ/\しながら何か話しかけていた……。夕陽が向う側の監獄の壁を赤く染めて、手前の庭の半分に、煉瓦建の影を斜《なな》めに落していた。――それは日が暮れようとして、しかもまだ夜が来ていない一《ひと》時の、すべてのものがその動きと音をやめている時だった。私はそのなごやかな監獄風景を眺めながら、たゞお湯の音だけをジャブ/\たてゝ、身体をこすっていた。ものみんなが静かな世界に、お湯のジャブ/\だけが音をたてゝいるのが、何かしら今だに印象に残っている。
 次の日は「理髪」だった。――俺はこうして、此処へ来てから一つ一つ人並みになって行った。――こゝの床屋さんは赤い着物を着ている。
 顔のちっとも写らない壊れた小さい鏡の置いてある窓際に坐ると、それでも首にハンカチをまいて、白いエプロンをかけてくれる。この「赤い」床屋さんは瘤《こぶ》の多いグル/\頭の、太い眉をした元船員の男だった。三年食っていると云った。出たくないかときくと、なアに長い欧州航路を上陸をせずに、そのまゝ二三度繰りかえしていると思えば何んでもない、と云って笑った。
「アパアト住い」と云い、又この「欧州航路」と云い、こゝにいるどの赤い着物も、そんなことを自分の家にいるよりも何んでもなく云ってのける。
 用意が出来ると、この床屋さんが後に廻りながら、
「バリカンで、ジョキ/\やってしまうぜ。」
 と云った。
 それは分っていて……しかし云われてみると、矢張りギョッとした。
「頼む! 少しは長くしておいてくれよ。」
「こゝン中にいて、一体誰に見せるんだ。」
と云って、クッ、クッと笑った。
「そうか、そうか、分った。面会に来る女《ひと》があるんだろうからな――」
 それで俺の髪だけは助った。然しこの理髪師はニキビであろうが、何んであろうが、上から下へ一気に剃刀《かみそり》を使って、それをそり[#「そり」に傍点]落してしまった。
 俺がヒリ/\する頬を抑えていると、ニヤ/\笑いながら、
「こゝは銀座の床屋じゃないんだからな。」
 と云った。

     赤色体操

 俺だちは朝六時半に起きる。これは四季によって少しずつ違う。起きて直ぐ、蒲団を片付け、毛布をたゝみ、歯を磨いて、顔を
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