に行くんだ、――編笠をかぶって。」
 俺は看守の指さす方を見た。
 長い廊下の行手に、沢山の鉄格子の窓を持った赤い煉瓦《れんが》の建物がつッ立っていた。
 俺はだまって、その方へ歩き出した。

     アパアト住い

「南房」の階上。
 独房――「No. 19.」
 共犯番号「セ」の六十三号。

 警察から来ると、此処は何んと静かなところだろう。長い廊下の両側には、錠《じょう》の下りた幾十という独房がズラリと並んでいた。俺はその前を通ったとき、フトその一つの独房の中から低いしわぶき[#「しわぶき」に傍点]の声を耳にした。俺はその時、突然肩をつかまれたように、そのどの中にも我々の同志が腕を組み、眼を光らして坐っているのだ、ということを感じた。
 俺は最初まだ何にも揃《そろ》っていないガランドウの独房の中に入れられた。扉が小さい室に風を煽《あお》って閉まると、ガチャン/\と鋭い音を立てゝ錠が下り、――俺は生れて始めて、たった独り[#「独り」に傍点]にされたのだ。
 俺は音をたてないように、室の中を歩きまわり、壁をたゝいてみ、窓から外をソッと覗《のぞ》いてみ、それから廊下の方に聞き耳をたてた。
 誰か廊下を歩いてゆく。立ち止まって、その音に何時でも耳をすましていると、急にワクワクと身体が底から顫《ふる》えてくる――恐怖に似た物狂おしさが襲ってきた。その時、今でも覚えている、俺はワッと声をあげて泣けるものなら、子供よりもモッと大声を上げて、恥知らずに泣いてしまいたかった。
 しばらくして、赤い着物をきた雑役が、色々な「世帯道具」――その雑役はそんなことを云った――を運んできてくれた。
「どうした? 眼が赤いようだな。」
 と、俺を見て云った――
「なに、じき慣れるさ。」
 俺は相手から顔をそむけて、
「バカ! 共産党が泣くかい。」
 と云った。
 箒《ほうき》。ハタキ。渋紙で作った塵取《ちりとり》。タン壺。雑巾。
 蓋《ふた》付きの茶碗二個。皿一枚。ワッパ一箇。箸《はし》一ぜん。――それだけ入っている食器箱。フキン一枚。土瓶《どびん》。湯呑茶碗一個。
 黒い漆塗《うるしぬり》の便器。洗面器。清水桶。排水桶。ヒシャク一個。
 縁のない畳一枚。玩具《おもちゃ》のような足の低い蚊帳《かや》。
 それに番号の片《きれ》と針と糸を渡されたので、俺は着物の襟《えり》にそれを縫いつけた
前へ 次へ
全20ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小林 多喜二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング