た。それがどの程度の確実さがあるかどうか、とにかく皆は此処《ここ》をやめると、又暫《しば》らくの間仕事に有りつけないので知らずにその事を当てにしていた。だが、晩飯の時間を賃銀から二銭三銭と差引いたり、何百人の人間を平気で一時間以上も待たして、一銭玉を三つずつ並らべる会社が、何んで六百人もの人間に十円《大枚十円!》を出すものか。十円を出すという噂《うわ》さを立てさせているのには、明らかに会社側の策略がひそんでいるのだ。そんな噂さを立てさせて、首切りの前の職工の動揺を防いで、土俵際でまンまとして[#「して」に傍点]やろうという手なのだ。
 それが今日工場で可なり話題になったので、私は明日工場に入れるビラにこの間《かん》の事情を書くことにした。一昨日入ったビラに、その前の日皆がガヤ/\話し合った、賃銀を渡す時間を早くして貰《もら》おうというようなことがちァんと出ていたために(事はそんな些少《さしょう》なことだったが)、皆の間に大きな評判を捲《ま》き起したのである。私は机の前に大きな安坐《あぐら》をかいた。
 暫《しば》らくすると、下のおばさんが階段を上がってきた。「さっきは子供にどうも!」と云って、何時になくニコ/\しながらお礼をのべて下りて行った。私たちのような仕事をしているものは、何んでもないことにも「世の人並のこと」に気を配らなければならなかった。下宿の人に、上の人はどうも変な人だとか、何をしている人だろうか、など思われることは何よりも避けなければならない事だった。今獄中で闘争している同志Hは料理屋、喫茶店、床屋、お湯屋などに写真を廻わされるような、私達とは比べものにならない追及のさ[#「さ」に傍点]中を活動するために、或《あ》る時は下宿の人を帝劇に連れて行ってやったりしている。それと同時に私達は又「世の人並に」意味のない世話話をしたり、お愛そ[#「そ」に傍点]を云うことが出来なければならない。が、そういうことになると私はこの上もなく下手なので随分弱った。この頃では幾分慣れては来ているが……。
 私は「やア、何アに、少しですよ。」と、おばさんに云って、云ってしまってから赤くなっていた。どうも駄目だ。

 原稿用紙で精々二枚か二枚半の分量のものだったが、昼の仕事をやって来てから書くのでは、楽な仕事ではなかった。十円の手当のバク露のことをようやく書き終ると、もう七時を過
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