は然し何も云わなかった。私はしばらくして返事をうながした。が黙っている。彼女はその日とう/\何も云わないで、帰ってしまった。
 その次に会うと、笠原は私の前に今迄になくチョコナンと坐っているように見えた。それは如何《いか》にもチョコナンとしていた。肩をつぼめて、両手を膝の上に置き、身体を固くしていた。彼女の下宿に泊った次の朝、下宿から一歩出たとき、「あ――あ、よかった畜生め!」と男のような明るさで叫んだ女らしさが何処にも見えなかった。私はそれを不思議に眺《なが》めた。
 私達は色々と用事の話をした。その話が途切れると、女はモジ/\した。二人ともこの前の話を避け、それを後へ後へと残して云った。用事が済んでから、私はとう/\云った。――彼女は自分の決心をきめて来ていたのだった。
 私は笠原はその後直ぐ一緒に新しい下宿に移った。そこは倉田工業から少し離れていたが、須山や伊藤は電車でも歩ける「身分」なので、こっちへ出掛けて来てもらった。それで交通費を節約し、道中の危険を少なくすることが出来た。



 須山はそっちの方に用事があると、時々私の母親のところへ寄った。そして私の元気なことを云い、又母親のことを私に伝えてくれた。
 私は自分の家を出るときには、それが突然だったので、一人の母親にもその事情を云《い》い得ずに潜《も》ぐらざるを得なかったのである。その日は夜の六時頃、私は何時《いつ》ものレンラクに出た。私は非合法の仕事はしていたが、ダラ幹の組合員の一人として広汎《こうはん》な合法的場面で、反対派として立ち働いていたのである。ところが六時に会ったその同志は、私と一緒に働いていたFが突然やられたこと、まだその原因はハッキリしていないが、直接それとつながっている君は即刻もぐらなければならないことを云った。私は一寸呆然《ちょっとぼうぜん》とした。Fの関係で私のことが分るとすれば、それは単にダラ幹組合の革命的反対派としてゞは済まない。オヤジの関係になるのだ。私は一度家に帰って始末するものはして、用意をしてもぐろうと思い、そう云った。それだけの余裕はあると思った。するとその同志は(それがヒゲだったのだが)
「冗談も休み休みに云うもんだ。」
と、冗談のように云いながら、然《しか》し断じて家へは帰ってならないこと、始末するものは別な人を使ってやること、着のみ着のまゝでも仕方がないこと
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