ン、昨日と同じ処《ところ》を繰りかえすことになってるんだって。」
「何時だ。」
「七時――それに喫茶店が七時二十分。で俺はとにかくその様子が心配だから、八時半に上田と会うことにして置いた。」
私は今晩の自分の時間を数えてみて、
「じゃ、オレと九時会ってくれ。」
私達はそこで場所を決めて別れた。別れ際に須山は「ヒゲ[#「ヒゲ」に傍点]がやられたら、俺も自首[#「自首」に傍点]して出るよ!」と云った。それは勿論《もちろん》冗談だったが、妙に実感があった。私は「馬鹿」と云った。が彼のそう云った気持ちは自分にもヨク分った。――ヒゲ[#「ヒゲ」に傍点]はそれほど私達の仲間では信頼され、力とされていたのである。私達にとっては謂《い》わば燈台みたいな奴だと云っても、それは少しも大げさな云い方ではなかった。事実ヒゲ[#「ヒゲ」に傍点]がいなくなったとすれば、第一次の日からして私達は仕事をドウやって行けばいゝか全く心細かった。勿論《もちろん》そうなればなったで、やって行けるものではあるが。――私は歩きながら、彼が捕《つか》まらないでいてくれゝばいゝと心から思った。
私は途中小さいお菓子屋に寄って、森永のキャラメルを一つ買った。それを持ってやってくると、下宿の男の子供は、近所の子供たちと一緒に自働式のお菓子の出る機械の前に立っていた。一銭を入れて、ハンドルを押すとベース・ボールの塁に球が飛んでゆく。球の入る塁によって、下の穴から出てくるお菓子がちがった。最近こんな機械が流行《はや》り出し、街のどの機械の前にも沢山子供が群がっていた。どの子供も眼を据《す》え、口を懸命に歪《ゆが》めて、ハンドルを押している。一銭で一銭以上のものが手に入るかも知れないのだ。
私はポケットをジャラ/\させて、一銭銅貨を二枚下宿の子供にやった。子供は始めはちょっと手を引ッ込めたが、急に顔一杯の喜びをあらわした。察するところ、下宿の子は今迄《いままで》他の子供がやるのを後から見てばかりいたらしかった。私はさっき買ってきたキャラメルも子供のポケットにねじこんで帰ってきた。
私は八時までに、今日工場で起ったことを原稿にして、明日撒《ま》くビラに使うために間に合わせなければならなかった。それを八時に会うSに渡すことになっている。私は押し入れの中から色々な文書の入っているトランクを持ち出して、鍵《かぎ》を外し
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