る。或《ある》いは口喧《やか》ましい派出婦人会だけを除くと、まず周囲はいゝ方と云わなければなるまい。
たゞ、今迄《いままで》の経験で、アジトを襲われたり、アジトに変なことがあったりしたら直ぐ出掛けて行ける宿所を作って置かなければならない。どんなに安全そうに見えても、それは少しも何時までもの安全を意味してはいない。事実、私はこの前の前の下宿で、移ってから二日目だというのに、お湯へ行って帰ってくると、下宿の前に洋服を着た男が立っているのだ。そこは一本道で、私はその男を発見したが、そこからは引ッ込みのつかないほど間近に来てしていた。私は仕方なしに、身体をフラ/\と振り、濡《ぬ》れ手拭《てぬぐい》を眼につくように垂らし、ウロ覚えの「幻の影をしたいて、はるばると……」を口笛で吹いて、下宿には入らずに通り過ぎた。洋服の男は私の方を見たようだったが、その見方は張り込んでいる見方にしては、何処《どこ》か不審なところがあるように思われた。私は暫《しば》らく来てから振りかえってみた。が、男は未だ立って居り、こっちを見ている。私はその夜同志のところへ転げこんだ。その同志は経験のある同志で、第一にそんな張り込み方がないこと、第二に新しく移ってきて二三日もしないうちに、何等かの予備的調査もなくやってくるという事は有り得ないという判断から、次の日人を使って調らべたら、何んでもないことが分ったが。とにかく即刻やってくる災害に対して即刻に応じ得られる第二段の構をして置くことが常に必要である。私は次の連絡のとき、笠原にこのことを依頼した。
仕事は直ぐ立ち直った。太田のあとは伊藤ヨシが最近メキ/\と積極的になったので、それを補充することにした。弾圧の強襲が吹き捲《まく》っているときに、積極性を示すものは仲々数少なかったのだ。彼女は高等程度の学校を出ていたが、長い間の《転々とはしていたが》工場生活を繰りかえしてきたために、そういう昔の匂いを何処にも持っていなかった。この女は非合法にされてからは、何時《いつ》でも工場に潜《も》ぐりこんでばかりいたので、何べんか捕《つ》かまった。それが彼女を鍛えた。潜ぐるとかえって街頭的になり、現実の労働者の生活の雰囲気から離れて行く型と、この伊藤は正反対を行ったのである。伊藤は警察に捕かまる度に母親が呼び出され引き渡されたが、半日もしないうちに又家を飛び出し潜ぐって
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