ってる奴があるか!」と、オヤジが苦笑した。
「でも、会社は随分ヒドイことをしてるんだね、おじさん!」
「それだ――それだからビラが悪いって云うんだよ!」
「そう? じゃやめる時、本当に十円出すの?」
オヤジは詰って、
「そんなこと知るもんか。会社に聞いてみろ!」
と云った。
「何時《いつ》かおじさんだってそう云ってたんじゃないの! あ、矢張りビラのこと本当なんだ!」
女のその言葉で、職場のものはみんな笑い出した。
「よオ/\、しっかり!」
誰かそんなことを云った。
オヤジは急に真ッ赤になり、せわしく鼻をこすり、吃《ども》ったまゝカン/\に出て行った。――それで私たち第三分室は大声をあげた。事は小さかったが、そのためにオヤジの奴め他のものからビラを取り上げるのを忘れて出ていってしまった。
その日、仕事が始まってから一時間もしないとき、私は太田が工場からやら[#「やら」に傍点]れて行ったという事を聞いた。ビラを持って入ったことが分ったらしい。
太田は――何より私のアジトを知っている!
彼は前に、事があったら三日間だけは頑張ると云っていた。三日間とは何処《どこ》から割り出したんだいと訊くと、みんながそう云っていると云った。その頃「三日間」というのが何故か一つのきまりのようになっていた。私はその時引き続き冗談を云い合ったが、フト太田の何処かに弱さを感じたことを覚えている。太田が捕まったと聞いたとき、私の頭にきた第一のことはこの事だった。
私の知っている或《あ》る同志は、自分と同居していたものが捕ったにも拘らず、平気でそのアジトに寝起していた。私や他のものは直ぐ引き移らなければ駄目だと云った。するとその同志は奇妙な顔をした。案に違わず五日目にアジトを襲われた。その時同志は窓から飛んだ。飛びは飛んだが足を挫《くじ》いてしまった。彼は途中逃げられないように真裸にされて連れて行かれた。彼が警察の留置場に入って、前にやられた仲間を一眼見ると、「馬鹿野郎! だらしのない奴だ!」と怒鳴りつけた。ところがその仲間は、逆に自分がやられているのにのんべんだらりと逃げもしない「だらしのない奴」だと思い、相手にそう云おうと思っていたというのである。後でその同志が出てきたとき、私たちは、だから云わない事じゃ無かったんだ、分っていて捕まるなんて統制上の問題だぞと云った。すると彼は、あい
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