はたった一人の労働者を雇うのにも厳重な調査をし、身元保証人をきめた上でなければ駄目だった。が、戦争が始まってからは、それをやっていることが出来なくなった。私たちはその機会をねらった。勿論《もちろん》この場合雇い入れるとしても、それは「臨時工」だし、それに国家「非常時」ということを名目としてドシ/\臨時工を使うことは、結局は労働者全体(工場から見れば本工《ほんこう》を雇うときに)の賃銀を引き下げるのに役立つのである。だが彼奴等は自分たちの利害のこの両方の板挟《いたばさ》みにあって、黒い着物を頭から引ッかぶって見張りをしなければならないような馬鹿げた恥知らずの真似《まね》に出でざるを得ないのである。
 黒い着物はどうでもよかったが、私には待ち伏せしている背広だった。私の写真は各警察に廻っている。私は勿論《もちろん》顔の形を変えてはいるが油断はならなかった。十三年前に写した写真が警察にあったゝめに、一度も実際の人物を見たこともないスパイに捕まった同志がある。仲間のあるものは、私に全然「潜《も》ぐる」ことをすゝめる。勿論それに越したことはないが、今迄の経験によると、工場の外にいてその組織を進めて行くことは百倍も困難であって、且《か》つ百分の一の成果も挙がらないのだ。このことは工場にいるメンバーと極めて緊密な連繋《れんけい》がとれている場合にでも云えるのである。我々が「潜ぐる」というのは、隠居するということでは勿論ないし、又単に姿を隠くすとか、逃げ廻わるということでもない。知らない人は或《ある》いはそう考えている。が若《も》しも「潜ぐる」ということがそんなものならば、彼奴等におとなしく[#「おとなしく」に傍点]捕まって留置場でジッとしている方が事実百倍も楽でもあるのだ。「潜ぐる」ということは逆に敵の攻撃から我身を遮断して、最も大胆に且つ断乎として闘争するためである。――勿論仕事の遣《や》り易さとかその他の点から我々が合法的であることは、モッと望ましい。だから私は太田などに云っている。出来るだけ永い間合法性を確保しろ、と。その意味から「潜ぐる」というのは正しい云い方ではなく、私達は決して自分から潜ぐっているのではなくて、彼奴等に潜ぐらされているのに過ぎないのだ……。
 そんな状態で、私は敵の前に我と我が身の危険を曝《さ》らしているので、朝夕の背広には実に弱る。この頃そこに立って
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