い細胞に各職場を分担させて一斉《いっせい》に「馘首《かくしゅ》反対」の職場の集会を持たせることだった。そしてそれを成功させるために工場の中で須山に公然たるビラ撒《ま》きをさせる。――伊藤の「しるこや組」に、兄が倉田工業の社員である女工がいた。その女工の口から三十一日ではなくて(三十一日のように思い込ませて置いて)先手を打って二十九日に一斉に首切りをやることが分った。その時は警察ばかりでなく軍隊も出るらしかった。従って是が非でも二十八日[#「二十八日」に傍点]にストライキをやって、こっちが逆に先手を打たなければならない。
 ところが、須山には最近やられるらしい危険性がある。伊藤からの報告だったが、ケイサツの私服が事務所のなかゝら一二度出て行くのを見ているし、須山のいる第二工場の入口でよくおやじと立話していた。それがこの一二日なのである。太田がやられてからも、党のビラが二度、「マスク」が二度も入っている。向うが須山をにらんでいることは最早疑うことは出来なかった。それに「共産党」と云えば、何処か知れない「上《うえ》の方に」いたり、或《ある》いは「地の底に」もぐって出没している神様か魔物であるかのように考え、又考え込ませられている。だが本当は須山のように皆から信用のある、自分たちのそばで肩をならべて働いているものがそうであることを、ハッキリと示し、親しみと信頼を起させる必要があった。――私が須山に公然と党のビラを撒かせる決意をしたのは、そこから来ていた。
 最後を闘うためには、仮りに須山がいないとしてもそれは他の誰かゞやらなければならない任務だったのだ。陰謀的な仕方ばかりでは、大衆的動員は行われない。見えない組織をクモの巣のようにのばして置いて、そこへ公然たる煽動《せんどう》を持ち込まなければならないのだ。
 その最後の対策をたてるために、私たちはエンコすることになった。この案はそこに出され、決められるのだったが――然し須山のことを考えると、私はさすがに心がしめつけ[#「しめつけ」に傍点]られた。党のビラを撒いたとなれば、闘争経歴にもよるが、二三年から四五年の懲役を覚悟しなければならないのだ。何時《いつ》もなら、私は外へ一歩出たら、元とはちがって、一切の空想ごとや考えごとをやめて、四囲《まわり》に注意して歩くことにしていたが(そしてそれは可なり慣れていたが)、その日は、フト
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