た。同じ気持の人がいるかと思うとうれしかった。
彼は顫《ふる》えがとまらなかった。何度も室の中を行ったり来たりした。彼は次の間を仕切っている襖《ふすま》をフトあけてみた。乱雑に着物がぬぎ捨てられてある、女の部屋らしく、鏡台がすぐ側にあった。その小さい引出しが開けられたままになっていたり、白粉刷毛《おしろいばけ》が側に転がっていた。その時女の廊下をくる音をきいた。彼は襖をしめた。
女は安来節《やすぎぶし》のようなのを小声で歌いながら、チリ紙を持って入ってきた。そしてそこにあった座布団を二つに折ると××××(以下略)
龍介はきゅうに心臓がドキンドキンと打つのを感じた。「ばか、俺は何もするつもりじゃないんだ」彼は少しどもった。女は初め本当にせず、×××××。龍介はだまって立っていた。
「本当?」
「本当だ」
「そう?……」×××そして、もう一度「本当?」とききなおした。女は立ち上った。
女は酒をとりに室を出ていった。龍介は室の真中に仰向けにひっくり返った。低い天井板が飴色《あめいろ》にすすけてところどころ煤《すす》が垂れていた。
龍介は虚《うつ》ろな気持で天井を見ながら「ばか」声を出してひくく言ってみた。
「ばか!」少し大きくした。そしてその余韻《よいん》をきいてみた。するときゅうに大きく「ばかッ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」と怒鳴《どな》りたくなった。
女は無表情な顔をして酒を持って入ってきた。口の欠けた銚子《ちょうし》が二本と章魚《たこ》の酢《す》ものと魚の煮たものだった。すぐあとから別な背の低い唇《くちびる》の厚い女が火を持ってきた。が、火鉢に移すと、何も言わずに出ていった。
寒かった、龍介はテーブルを火鉢の側にもってきて、それに腰をかけて、火鉢の端《はし》に足をたてた。
「行儀がわるい」女は下から龍介を見上げた。
「寒いんだよ。それより、君はこれを敷け」彼は女に座布団を押してやった。が、女は「いいの」と言って、押しかえしてよこした。
「――冷えるぜ」
「どうせねえ」そして、すすめるとまた「いいの」と言った。
「変だな」彼はそう言って、むりに女に敷かせた。
「どうして兄さん敷かないの」座ってからも女はちょっと落着かないように、モジモジした。それから「じゃ、敷くわねえ」と言った。
女は酒をつぐと、
「ハイ」と彼に言った。
「俺は飲まないんだ。君に飲ませるよ」
「どうして?」
「飲みたくないんだ」彼は女の手に盃《さかずき》を持たしてやった。
「ソお」女は今度はすぐ飲んだ。
龍介は注《つ》いでやった。
「本当、いいの?」
「うん」
女はちょっと笑顔《えがお》をしてのんだ。彼は銚子を下に置かずに注いでやった。女は飲むたびに、「本当?」ときいた。
「この章魚《たこ》も、さかなも食っていいんだ」
彼は割箸《わりばし》をわって、皿の上に置いた。
「いいの?――何んだか……」
女は少し顔を赤くして、チラッチラッと二、三度龍介を見上げると、「どうして、兄さん……」と言った。
「俺は食わないんだ。いいから」
「ソお、……なんだか……」
女はさかなを箸の先でつっついて、またひくく「いいの?」と言った。そして、最初箸の先にちょんびり[#「ちょんびり」に傍点]肴を挾《はさ》んで左手の掌《てのひら》にそれを置いて口にもってゆくとき、龍介をちょっとぬすみ見て、身体を少しくねらし、顔をわきにむけて、食べた。彼はすぐまた酒をついでやった。女はまたさかな[#「さかな」に傍点]を食った。章魚の方にも箸をつけた。腹が減っているんだなあ、と彼は思った。
「いくつだ?」
「――年?」眼にちょっとしたしな[#「しな」に傍点]を作って彼を見た。
「うん」
「……十七」
「考えて言えァだめだ」
「本当よ。――十七」
「そうか……章魚がうまいか?」
「…………」返事をしないで女が笑った。
「いつから?……」
「十五から」
「十五?――」
龍介は酒をついでやった。一本の方はもうなくなった。彼は女の目の前で銚子を振ってみせた。女はちょっと肩を縮めて、黙って笑った。
「まだ、あるんだ。安心せ」
彼はもう一本の方を手にもって、「さあ、注いでやるぞ」と言った。そして、「どうしてこんな所へ来たんだ?」ときいた。
女はちょっとだまった。火鉢のふち[#「ふち」に傍点]に両肱《りょうひじ》を立てて、ちょうどさかずき[#「さかずき」に傍点]を目の高さに持っていた女は、口元まで持っていったのをやめて、じっとそれに見入った。両方とも少しだまった。と、女は顔をあげで、
「そんなこときいて何するの?」ときいた。そして、
「イヤ! 私いや!」と言って、頭を振った。
「ききたいんだ」
間。
「どうして?」
「どうしでもさ。金のためにか、すきでか……」
「私言わないもの……
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