つないでいなかった。
 今迄一人の女工も使っていないボデイ・ラインを、賃銀の安い女工で置きかえるかも知れないというので、職工は顔色をなくしていた。――
 表面の極く何んでもなさにも不拘、たったこれだけを見ても森本はうちにムクレ上がっている、ムクレ上がらせることの出来る力を充分に感ずることが出来た。
 森本は毎朝工場へ出掛けて行く自分の気持が、――今迄とは知らないうちに変ってきているのを発見した。寒い朝、肩を前にこごめ、首をちゞめて、ギュン/\なる雪を踏んで家を出るときは、彼は文字通り奴隷である惨めさを感じた。朝のぬくもっている床の中に、足をゆっくりのばして、もう一時間でいゝ寝て居れないものか、と思った。――朝が早いので、まだ細い雪道を同じ方向へ一列に、同じ生気のない恰好をして歩いている汚点《しみ》のような労働者たちのくねった長い列をみていると、これが何時[#「何時」に傍点]、あの「ロシア」のような、素晴しい力に結集されるのか、と思われる。その一列にはたゞ鎖が見えないだけだった。陰気な囚人運動を思わせた。
 だから彼は工場でも仕事には自分から気を入れてやった事がなかった。彼はもっと出世して「社員」になろうと、一生懸命に働いたことがあった。然しいくら働いても、社員にしてくれないので、彼は十九頃からやけ[#「やけ」に傍点]を起していた。殊に、そこでは人間が機械を使うのではなくて、機械が何時でも人間をへばりつかせていた。人間様が機械にギュッ/\させられてたまるもんかい、彼はだらしなく、懐手《ふところで》をしている方がましだと思っていた。――猫を何匹も飼っている婆の顔がだんだん猫に似てくるが、それと同じように、今にお前たちは機械に似てくるぞ、と森本はしゃべって歩いた。工場の轟音のなかで話している彼等は、金剛砥《グラインダー》が鉄物に火花を散らすような声でしかもの[#「もの」に傍点]が云えない。彼等の腰は機械の据りのようなねばりと適確さを持っている。彼等の厚い無表情は鉄のひやゝかな黒さに似ている。彼等の指の節々はたがね[#「たがね」に傍点]の堅さを持っている。彼らはそして汽槌《スチーム・ハンマー》のような意志を持っていた。――この労働者の首ッ根にベルトがかゝれば、彼等は旋盤がシャフトを削り、ボール盤が穴を穿《うが》ち、セーパーやステキ盤が鉄を平面にけずり、ミーリングが歯車を仕上げると同じそのまゝの力を出す。ハンドルを握った労働者の何処から何処までが機械であり、何処から何処までが労働者か、それを見分けることは誰にも困難なことだった。
 そこでは、人間の動作を決定するものは人間自身ではない。コンヴェイヤー化されている製罐部では、彼等は一分間に何十回手先きを動かすか、機械の廻わりを一日に何回、どういう速度でどの範囲を歩くかということは、勝手ではない。機械の回転とコンヴェイヤーの速度が、それを無慈悲に決定する。工場の中では「職工」が働いていると云っても、それはあまり人間らしく過ぎるし、当ってもいない。――働いているものは[#「働いているものは」に傍点]機械しかないのだ。コンヴェイヤーの側に立っている女工が月経の血をこぼしながらも、機械の一部にはめ込まれている「女工という部分品」は、そこから離れ得る筈がなかった。
 このまゝ行くと、労働者が機械に似てゆくだけではなしに、機械そのものになって行く、森本にはそうとしか考えられない。「人造人間」はこんな考えから出たのだろう。職工たちは「人造人間」の話をすると、イヤがった。――誰が機械になりたいものか。労働者はみんな人間になりたがっているのだ。――
 森本は自分たちの「仕事」をやるようになり、色々なことが分ってくると、その[#「その」に傍点]工場が今更不思議な魅力を持ってきたのだ。――朝出るとき、今日は誰にしようかを決める。その仲間の色々な性質や趣味や仕事から、どういう方法で、どんな話から近付いて行ったらいゝか、家へブラッと遊びに行ったらいゝか……そんな事を考えながら家を出て行くと、自分の前や後を油で汚れたナッパ服を着て、急いでいる労働者がどれも何時か自分達の「仲間」になる者達ばかりだ、と思われる。――それは今迄のジメ/\と陰気な考えを、彼から捨てさせた。

 彼は河田や石川の指導のもとに、班を二つに――男工と女工に分け、男工は彼が責任者になり、女工の方はお君が当り、その代表者だけが「二階」で河田たちと連絡をとり、そこで重要な活動の方法を決定して行くことにきめた。
 その各班では基礎的な直ぐ役立つ経済上や政治上の知識を得るために、小さい「集り」を持つことにされた。
 その初めに、河田が中央の指導者の書いた短い文章を森本に読んできかせた。――それはある地方の一小都市にいる同志に与えたその指導者の手紙の形をとっ
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