れていた。一所にいることが出来ない。何か心の底で終始せき立てられていた。――女房たちは、夫の稼いでいる運河のある港通りへ出てきた。
日暮れまでいて、帰りに女房たちは親方へ寄った。幾らでも貸して貰いたかった。
――笑談《じょうだん》じゃない!
受付から親方が顔を出した。
――この不景気をみてくれ。こっちが第一喰えないんだ。
そう云われても、女房たちは受付の手すりに肱《ひじ》をかけたきり、だまっていた。帰ることを忘れていた…………。
「H・S工場」の窓から、澱んだ運河を越して、その群れが見えた。――浜が騒がしくなった。「Y労働組合」はそれ等の間を縫って活動していた。不穏なストライキが起るのは、たゞ「きっかけ」だけあればよかった。組合はそれに備える充分の連絡と組織網を作って置かなければならなかった。
「工場代表者会議」が緊急に開かれた。それはこの場合二つの意味をもっていた。――運輸労働者が一斉に蹶起《けっき》したとしても、Y市の「工場労働者」がその闘争の外に立つことは、他の何処の市でもそうであるように分りきっていた。それをこの「工代」の力によって、全市のストライキに迄発展させなければならなかった。一つは「H・S工場」の最近の動揺についてゞあった。
四つの鉄工場から六人、三つの印刷工場から三人、二つのゴム工場から四人集った。それは各々背後にその工場の何十人かの意見を代表していた。
その中に、森本が見習工のとき廻って歩いていた鉄工場の仲間が二人もいた。
――やっぱり俺達はな……!
と云って、お互いに笑った。
「工代」をこのくらいのものにするのに、河田たちは半年以上ものジミな努力をしてきていた。――で、
「H・S会社」は戦々兢々《せんせんきょうきょう》としていた。社員も職工も仕事が手につかなかった。――それは三田銀行が日本の一流銀行である金菱銀行に合同されることから起った。政府は金融機関の全国的統制――その集中をはかっていた。この合同もそれだった。銀行はます/\巨大な、数の少ないものに纏《まと》められて行っている。で、今までの「H・S会社」に対する三田銀行の支配権は、当然金菱銀行にそのまゝ移って行った。
ところが、金菱銀行は自分の支配下に「N・S製罐会社」「T・S製罐会社」この二つの会社を持っていた。然し今まで製罐業では、金菱系の会社は何時でも「H・S会社」
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