々は「命」さえも安々と賭けなければならない。ブリキ罐をいじっている製罐部の諸君に、私は何人指のない人間がいるかを知っている。――指の無い人間! それが製罐工場が日本一だということをきいている。で、我々はそんな場合、会社の云いなりしかどうにも出来ない。何故だ? 我々は我々だけの職工の利益を擁護してくれる機関[#「機関」に傍点]を持っていないからではないか。――増野はもっと元気づいて続けた。
 ――金菱がどうのとか、産業の合理化がどうとか、面倒な理窟は知らない。たゞ我々のうちの半分以上も今首を――首を[#「首を」に傍点]切られようとして居り、賃銀は下がり、もっとギュウ、ギュウ働かされるそうだ。偉い人はもっと/\儲《もう》けなければならないのだそうだ。――
 彼はそこで水をのむコップを探がした。
 ――で…………。
 水の入ったコップが無かった。彼はそこで吃《ども》ってしまった。カアッと興奮すると、彼は又同じことを云った。すると彼は何処までしゃべったか、見当を失ってしまった。無数の顔が彼の前で、重って、ゆがんで、揺れた。それが何かを叫んでいる。彼は仕方がなくなってしまった。彼は最後のことだけを怒鳴った。
 ――で、工場委員会です。彼奴等の勝手にされていた委員会を我々のものにしなければならない。その第一歩として、委員の選挙です。我々は全部結束いたしまして、この目的のために闘争されんことを、コイ[#「コイ」に傍点]希うものであります。――俺、何しゃべったかなア!
 お終《しま》いに独言ともつかない事をくッつけた。それが皆にきこえたので、ドッと笑った。
 ――よオッく分ったぞ!
 ワザと誰かゞ手をたゝいた。
 お君が森本の後に来ていた。ソッと背を突いた。お君は興奮している時によくある片方の頬だけを真赤にしていた。
 ――耳……。一寸。
 ――ん。
 ――あのね、芳《よっ》ちゃんに出てもらう事にしたの。
 ――芳ちゃん?
 あの「漂泊の孤児」がかい? と思った。何でももの[#「もの」に傍点]をズケ/\云う河田に従うと、お芳は「漂泊の孤児」だった。顔の膚がカサ/\と艶《つや》がなく、何時でも寒そうな、肩の狭い女だった。無口であったが、思慮のあることしか云わなかった。お君がそばにいると、日陰になったように、その存在が貧相になった。
 ――え、真面目な人は案外思いきったことをするものよ
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