った。抱きついて、硬い毛の頬をすりつけたりした。面喰《めんくら》った日本人は、首を後に硬直さして、どうしていいか分らなかった。……。
 皆は、「糞壺」の入口に時々眼をやり、その話をもっともっとうながした。彼等は、それから見てきたロシア人のことを色々話した。そのどれもが、吸取紙に吸われるように、皆の心に入りこんだ。
「おい、もう止《よ》せよ」
 船頭は、皆が変にムキにその話に引き入れられているのを見て、一生懸命しゃべっている若い漁夫の肩を突ッついた。

        四

 靄《もや》が下りていた。何時も厳しく機械的に組合わさっている通風パイプ、煙筒《チェムニー》、ウインチの腕、吊《つ》り下がっている川崎船、デッキの手すり、などが、薄ぼんやり輪廓をぼかして、今までにない親しみをもって見えていた。柔かい、生ぬるい空気が、頬《ほお》を撫《な》でて流れる。――こんな夜はめずらしかった。
 トモ[#「トモ」に傍点]のハッチに近く、蟹の脳味噌の匂いがムッ[#「ムッ」に傍点]とくる。網が山のように積《つま》さっている間に、高さの跛《びっこ》な二つの影が佇《たたず》んでいた。
 過労から心臓を悪くし
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