ボロ船だ、沈んだら、かえって得するんだ」
 給仕は「今[#「今」に傍点]」恐ろしい喧嘩が! と思った。それが、それだけで済む筈がない。だが(!)船長は咽喉《のど》へ綿でもつめられたように、立ちすくんでいるではないか。給仕はこんな場合の船長をかつて一度だって見たことがなかった。船長の云ったことが通らない? 馬鹿、そんな事が! だが、それが起っている。――給仕にはどうしても分らなかった。
「人情味なんか柄でもなく持ち出して、国と国との大相撲がとれるか!」唇を思いッ切りゆがめて唾《つば》をはいた。
 無電室では受信機が時々小さい、青白い火花《スパアクル》を出して、しきりなしになっていた。とにかく経過を見るために、皆は無電室に行った。
「ね、こんなに打っているんです。――だんだん早くなりますね」
 係は自分の肩越しに覗《のぞ》き込んでいる船長や監督に説明した。――皆は色々な器械のスウィッチやボタンの上を、係の指先があち、こち器用にすべるのを、それに縫いつけられたように眼で追いながら、思わず肩と顎根《あごね》に力をこめて、じいとしていた。
 船の動揺の度に、腫物《はれもの》のように壁に取付けてあ
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