流れのうちでも、勿論|澱《よど》んだように足ぶみ[#「足ぶみ」に傍点]をするものが出来たり、別な方へ外《そ》れて行く中年の漁夫もある。然しそのどれもが、自分では何んにも気付かないうちに、そうなって行き、そして何時の間にか、ハッキリ分れ、分れになっていた。
朝だった。タラップをノロノロ上りながら、炭山《やま》から来た男が、
「とても続かねえや」と云った。
前の日は十時近くまでやって、身体は壊《こわ》れかかった機械のようにギクギクしていた。タラップを上りながら、ひょいとすると、眠っていた。後から「オイ」と声をかけられて思わず手と足を動かす。そして、足を踏み外《はず》して、のめったまま腹ん這《ば》いになった。
仕事につく前に、皆が工場に降りて行って、片隅《かたすみ》に溜《たま》った。どれも泥人形のような顔をしている。
「俺ア仕事サボるんだ。出来ねえ」――炭山《やま》だった。
皆も黙ったまま、顔を動かした。
一寸して、
「大焼き[#「大焼き」に傍点]が入るからな……」と誰か云った。
「ずるけてサボるんでねえんだ。働けねえからだよ」
炭山《やま》が袖を上膊《じょうはく》のところまで、まくり上げて、眼の前ですかして見るようにかざした。
「長げえことねえんだ。――俺アずるけてサボるんでねえんだど」
「それだら、そんだ」
「…………」
その日、監督は鶏冠《とさか》をピンと立てた喧嘩鶏《けんかどり》のように、工場を廻って歩いていた。「どうした、どうした※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と怒鳴り散らした。がノロノロと仕事をしているのが一人、二人でなしに、あっちでも、こっちでも――殆《ほと》んど全部なので、ただイライラ歩き廻ることしか出来なかった。漁夫達も船員もそういう監督を見るのは始めてだった。上甲板で、網から外した蟹が無数に、ガサガサと歩く音がした。通りの悪い下水道のように、仕事がドンドンつまって行った。然し「監督の棍棒《こんぼう》」が何の役にも立たない!
仕事が終ってから、煮しまった手拭《てぬぐい》で首を拭きながら、皆ゾロゾロ「糞壺」に帰ってきた。顔を見合うと、思わず笑い出した。それが何故《なぜ》か分らずに、おかしくて、おかしくて仕様がなかった。
それが船員の方にも移って行った。船員を漁夫とにらみ合わせて、仕事をさせ、いい加減に馬鹿をみせられていたことが分ると、彼等も時々「サボリ」出した。
「昨日ウンと働き過ぎたから、今日はサボだど」
仕事の出しなに、誰かそう云うと、皆そうなった。然し「サボ」と云っても、ただ身体を楽に使うということでしかなかったが。
誰だって身体がおかしくなっていた。イザとなったら「仕方がない」やるさ。「殺されること」はどっち道同じことだ。そんな気が皆にあった。――ただ、もうたまらなかった。
× × ×
「中積船だ! 中積船だ!」上甲板で叫んでいるのが、下まで聞えてきた。皆は思い思い「糞壺」の棚からボロ着のまま跳《は》ね下りた。
中積船は漁夫や船員を「女」よりも夢中にした。この船だけは塩ッ臭くない、――函館の匂いがしていた。何カ月も、何百日も踏みしめたことのない、あの動かない「土」の匂いがしていた。それに、中積船には日附の違った何通りもの手紙、シャツ、下着、雑誌などが送りとどけられていた。
彼等は荷物を蟹臭い節立った手で、鷲《わし》づかみにすると、あわてたように「糞壺」にかけ下りた。そして棚に大きな安坐《あぐら》をかいて、その安坐の中で荷物を解いた。色々のものが出る。――側から母親がもの[#「もの」に傍点]を云って書かせた、自分の子供のたどたどしい手紙や、手拭、歯磨、楊子《ようじ》、チリ紙、着物、それ等の合せ目から、思いがけなく妻の手紙が、重さでキチンと平べったくなって、出てきた。彼等はその何処からでも、陸にある「自家《うち》」の匂いをかぎ取ろうとした。乳臭い子供の匂いや、妻のムッとくる膚の臭《にお》いを探がした。
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………………………………
おそそ[#「おそそ」に傍点]にかつれて困っている、
三銭切手でとどくなら、
おそそ[#「おそそ」に傍点]罐詰で送りたい――かッ!
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やけに大声で「ストトン節」をどなった。
何んにも送って来なかった船員や漁夫は、ズボンのポケットに棒のように腕をつッこんで、歩き廻っていた。
「お前の居ない間《ま》に、男でも引ッ張り込んでるだんべよ」
皆にからかわれた。
薄暗い隅《すみ》に顔を向けて、皆ガヤガヤ騒いでいるのをよそ[#「よそ」に傍点]に、何度も指を折り直して、考え込んでいるのがいた。――中積船で来た手紙で、子供の死んだ報知《しらせ》を読んだのだった。二カ月も前に死んでいた子供
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