った。――もう夜が明けるんではないか。誰か――給仕かも知れない、甲板を行ったり、来たりしている靴の踵《かかと》のコツ、コツという音がしていた。実際、そして、騒ぎは夜明けまで続いた。
 士官連はそれでも駆逐艦に帰って行ったらしく、タラップは降ろされたままになっていた。そして、その段々に飯粒や蟹の肉や茶色のドロドロしたものが、ゴジャゴジャになった嘔吐《へど》が、五、六段続いて、かかっていた。嘔吐からは腐ったアルコールの臭《にお》いが強く、鼻にプーンときた。胸が思わずカアーッとくる匂いだった。
 駆逐艦は翼をおさめた灰色の水鳥のように、見えない程に身体をゆすって、浮かんでいた。それは身体全体が「眠り」を貪《むさぼ》っているように見えた。煙筒からは煙草の煙よりも細い煙が風のない空に、毛糸のように上っていた。
 監督や雑夫長などは昼になっても起きて来なかった。
「勝手な畜生だ!」仕事をしながら、ブツブツ云った。
 コック部屋の隅《すみ》には、粗末に食い散らされた空の蟹罐詰やビール瓶が山積みに積まさっていた。朝になると、それを運んで歩いたボーイ自身でさえ、よくこんなに飲んだり、食ったりしたもんだ、と吃驚《びっくり》した。
 給仕は仕事の関係で、漁夫や船員などが、とても窺《うかが》い知ることの出来ない船長や監督、工場代表などのムキ[#「ムキ」に傍点]出しの生活をよく知っていた。と同時に、漁夫達の惨《みじ》めな生活(監督は酔うと、漁夫達を「豚奴《ぶため》々々」と云っていた)も、ハッキリ対比されて知っている。公平に云って[#「公平に云って」に傍点]、上の人間はゴウマン[#「ゴウマン」に傍点]で、恐ろしいことを儲《もう》けのために「平気」で謀《たくら》んだ。漁夫や船員はそれにウマウマ[#「ウマウマ」に傍点]落ち込んで行った。――それは見ていられなかった。
 何も知らないうちはいい、給仕は何時もそう考えていた。彼は、当然どういうことが起るか――起らないではいないか、それが自分で分るように思っていた。
 二時頃だった。船長や監督等は、下手に畳んでおいたために出来たらしい、色々な折目のついた服を着て、罐詰を船員二人に持たして、発動機船で駆逐艦に出掛けて行った。甲板で蟹外しをしていた漁夫や雑夫が、手を休めずに「嫁行列」でも見るように、それを見ていた。
「何やるんだか、分ったもんでねえな」
「俺
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