。一直線に張っていたワイヤーだけが、時々ブランコのように動いた。
涙が鼻に入ってゆくらしく、水鼻がしきりに出た。大工は又「つかみ鼻」をした。それから横ポケットにブランブランしている金槌《かなづち》を取って、仕事にかかった。
大工はひょいと耳をすまして――振りかえって見た。ワイヤ・ロープが、誰か下で振っているように揺れていて、ボクンボクンと鈍い不気味な音は其処《そこ》からしていた。
ウインチに吊された雑夫は顔の色が変っていた。死体のように堅くしめている唇から、泡《あわ》を出していた。大工が下りて行った時、雑夫長が薪《まき》を脇《わき》にはさんで、片肩を上げた窮屈な恰好《かっこう》で、デッキから海へ小便をしていた。あれでなぐったんだな、大工は薪をちらっと見た。小便は風が吹く度に、ジャ、ジャとデッキの端にかかって、はね[#「はね」に傍点]を飛ばした。
漁夫達は何日も何日も続く過労のために、だんだん朝起きられなくなった。監督が石油の空罐《あきかん》を寝ている耳もとでたたいて歩いた。眼を開けて、起き上るまで、やけに罐をたたいた。脚気《かっけ》のものが、頭を半分上げて何か云っている。然《しか》し監督は見ない振りで、空罐をやめない。声が聞えないので、金魚が水際に出てきて、空気を吸っている時のように、口だけパクパク動いてみえた。いい加減たたいてから、
「どうしたんだ、タタき起すど!」と怒鳴りつけた。「いやしくも仕事が国家的である以上、戦争と同じ[#「戦争と同じ」に傍点]なんだ。死ぬ覚悟で働け! 馬鹿野郎」
病人は皆|蒲団《ふとん》を剥《は》ぎとられて、甲板へ押し出された。脚気のものは階段の段々に足先きがつまずいた。手すりにつかまりながら、身体を斜めにして、自分の足を自分の手で持ち上げて、階段を上がった。心臓が一足毎に無気味にピンピン蹴《け》るようにはね上った。
監督も、雑夫長も病人には、継子《ままこ》にでも対するようにジリジリ[#「ジリジリ」に傍点]と陰険だった。「肉詰」をしていると追い立てて、甲板で「爪たたき」をさせられる。それを一寸《ちょっと》していると「紙巻」の方へ廻わされる。底寒くて、薄暗い工場の中ですべる足元に気をつけながら、立ちつくしていると、膝《ひざ》から下は義足に触るより無感覚になり、ひょいとすると膝の関節が、蝶《ちょう》つがいが離れたように、不覚にヘナ
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