!)――身体が蟹の汁で汚れる、それがそのまま何日も続く、それで虱か南京虫が湧《わ》かない「筈《はず》」がなかった。
褌を解くと、黒い粒々がこぼれ落ちた。褌をしめたあとが、赤くかた[#「かた」に傍点]がついて、腹に輪を作った。そこがたまらなく掻《か》ゆかった。寝ていると、ゴシゴシと身体をやけにかく音が何処からも起った。モゾモゾと小さいゼンマイのようなものが、身体の下側を走るかと思うと――刺す。その度に漁夫は身体をくねらし、寝返りを打った。然し又すぐ同じだった。それが朝まで続く。皮膚が皮癬《ひぜん》のように、ザラザラになった。
「死に虱[#「死に虱」に傍点]だべよ」
「んだ、丁度ええさ」
仕方なく、笑ってしまった。
五
あわてた漁夫が二、三人デッキを走って行った。
曲り角で、急にまがれず、よろめいて、手すりにつかまった。サロン・デッキで修繕をしていた大工が背のびをして、漁夫の走って行った方を見た。寒風の吹きさらしで、涙が出て、初め、よく見えなかった。大工は横を向いて勢いよく「つかみ鼻[#「つかみ鼻」に傍点]」をかんだ。鼻汁が風にあふられて、歪《ゆが》んだ線を描いて飛んだ。
ともの左舷のウインチがガラガラなっている。皆漁に出ている今、それを動かしているわけ[#「わけ」に傍点]がなかった。ウインチにはそして何かブラ下っていた。それが揺れている。吊《つ》り下がっているワイヤーが、その垂直線の囲りを、ゆるく円を描いて揺れていた。「何んだべ?」――その時、ドキッと来た。
大工は周章《あわて》たように、もう一度横を向いて「つかみ鼻」をかんだ。それが風の工合でズボンにひっかかった。トロッとした薄い水鼻だった。
「又、やってやがる」大工は涙を何度も腕で拭《ぬぐ》いながら眼をきめた。
こっちから見ると、雨上りのような銀灰色の海をバックに、突き出ているウインチの腕、それにすっかり身体を縛られて、吊し上げられている雑夫が、ハッキリ黒く浮び出てみえた。ウインチの先端まで空を上ってゆく。そして雑巾《ぞうきん》切れでもひッかかったように、しばらくの間――二十分もそのままに吊下げられている。それから下がって行った。身体をくねらして、もがいているらしく、両足が蜘蛛《くも》の巣にひっかかった蠅《はえ》のように動いている。
やがて手前のサロンの陰になって、見えなくなった
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