り、寝言や、うなされているらしい突調子《とっぴょうし》な叫声が、薄暗い「糞壺」の所々から起った。
 彼等は寝れずにいるとき、フト、「よく[#「よく」に傍点]、まだ生きているな……」と自分で自分の生身の身体にささやきかえすことがある。よく、まだ生きている。――そう自分の身体に!
 学生上りは一番「こたえて」いた。
「ドストイェフスキーの死人の家[#「死人の家」に傍点]な、ここから見れば、あれだって大したことでないって気がする」――その学生は、糞《くそ》が何日もつまって、頭を手拭《てぬぐい》で力一杯に締めないと、眠れなかった。
「それアそうだろう」相手は函館からもってきたウイスキーを、薬でも飲むように、舌の先きで少しずつ嘗《な》めていた。「何んしろ大事業だからな。人跡未到の地の富源を開発するッてんだから、大変だよ。――この蟹工船《かにこうせん》だって、今はこれで良くなったそうだよ。天候や潮流の変化の観測が出来なかったり、地理が実際にマスターされていなかったりした創業当時は、幾ら船が沈没したりしたか分らなかったそうだ。露国の船には沈められる、捕虜になる、殺される、それでも屈しないで、立ち上り、立ち上り苦闘して来たからこそ、この大富源が俺たちのものになったのさ。……まア仕方がないさ」
「…………」
 ――歴史が何時でも書いているように、それはそうかも知れない気がする。然し、彼の心の底にわだかまっているムッ[#「ムッ」に傍点]とした気持が、それでちっとも晴れなく思われた。彼は黙ってベニヤ板のように固くなっている自分の腹を撫《な》でた。弱い電気に触れるように、拇指《おやゆび》のあたりが、チャラチャラとしびれる。イヤな気持がした。拇指を眼の高さにかざして、片手でさすってみた。――皆は、夕飯が終って、「糞壺」の真中に一つ取りつけてある、割目が地図のように入っているガタガタのストーヴに寄っていた。お互の身体が少し温《あたたま》ってくると、湯気が立った。蟹の生ッ臭い匂《にお》いがムレて、ムッと鼻に来た。
「何んだか、理窟は分らねども、殺されたくねえで」
「んだよ!」
 憂々した気持が、もたれかかるように、其処《そこ》へ雪崩《なだ》れて行く。殺されかかっているんだ! 皆はハッキリした焦点もなしに、怒りッぽくなっていた。
「お、俺だちの、も、ものにもならないのに、く、糞《くそ》、こッ殺され
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