子にも聞えてきた。
「とにかく來て下さい。」折鞄が云つてゐる。
「とにかくぢや分らないよ。」
「こゝで云ふ必要がないんだ。來て貰えばいゝんだ。」だん/\言葉がぞんざいになつて行つた。
「理由は?」
「分らん。」
「ぢや、行く必要は認めない。」
「認めやうが、認めまいが、こつちは…………。」
「そんな不法な、無茶な話があるか。」
「何が無茶だ。來れば分るつて云つてるぢやないか。」
「何時もの手だ。」
「手でも何んでもいゝ。――とにかく來て貰ふんだ。」
 父が急に口をつむんでしまつた。と、力一杯に襖が開いて、父が入つてきた。後から母がついてきた。五人は次の間に立つて、こつちを向いてゐる。
「ズボン。」
 父は怒つた聲で母に云つた。母は默つてズボンを出してやつた。父はズボンに片足を入れた。然し、もう片足を入れるのに、何度も中心を失つてよろけ、しくじつた。父の頬が興奮からピク/\動いてゐた。父はシヤツを着たり、ネクタイを結んだりするのにつゝかゝつたり、まごついたりして、――殊に、ネクタイが仲々結べなかつた。それを見て、母が側から手を出した。
「いゝ/\!」父は邪險にそれを拂つた。父は妙に周章て
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