る敏感さから、大人達の誰よりも早く「×旗の歌」や「メーデイの歌」を覺えてしまつた。幸子は學校でも家でも「からたちの唄」や「カナリヤの歌」なぞと一緒に、その歌を意味も分らずに、何處ででも歌つた。それで、何度も幸子は組合の人から頭を撫てもらつた。――父は決して惡い人でないし、惡いこともする筈がない。幸子には、だからそれは矢張り「レーニン」と「×旗の歌」のせいだとしか思へない氣がした。――さうだ、確かにそれしかない。
父が立ち上つた。――幸子は火事の夜のやうに、齒をカタ/\いはせてゐた。――皆外へ出た。母の青い顏がその時動いた。唇も何か云ふやうに動いたやうだつた。が、言葉が出なかつた。出たかも知れないが、幸子には聞えなかつた。母の、身體を支えてゐる柱の手先きに、力が入つてゐるのが分つた。――父は一寸帽子をかぶり直し、母の顏を見た。それから、チヨツキのボタンの一つかゝつてゐたのを外し、それを又かけ直した。落付きなく又母の顏を見た。――父の身體が半分戸の外へ出た。
「幸《ゆき》を氣付けろ…………。」
かすれた乾いた聲で云ふと、父は無理に出したやうな咳をした。
母は後から續いて外へ出た。
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