動にか細い[#「か細い」はママ]注意を拂つて自分の態度に、意識的に過ぎるとさへ思はれる程鞭を加へてきてゐた。今度の事件は、そして、色々な人間に對する嚴重なフルイであつた。ドシ/\眼の前で網の目から落ちて行く同志を見るのは、可なり淋しいことだつた。然しそれは或ひはかへつて必要な過程であるかも知れなかつた。――柴田は、俺はいくら後から來た若造だつて、畜生、落ちてはなるまいぞ、と思つた。
 ストーヴの廻りの話がこの事で一寸渦を卷いて澱んだ。が、誰が話し出すとなく、女の話が又出た。
 八時になると、疊の方へ床を敷いて、二人づゝ[#「づゝ」は底本では「づゞ」]寢た。「眠れさへすれば」眠るのが、たつた一つの自由な樂しみだつた。
 何人もが一緒に帶を解いたり、足袋を脱いだりする音がゴソ/\起つた。
「早く寢て夢を見るんだ。」口に出して云ふものがゐる。
「留置場の夢か。たまらない。」
「糞。」
 相手がクス/\笑つた。宿屋に着いた修學旅行の生徒のやうに、一しきりザワめいた。巡査が時々「シツ」「シツ」と云つた。
 何十人かのあか[#「あか」に傍点]のついた鯣のやうな夜具の襟が、ひんやりと氣持わるく頬に觸つた。
「あ――あ、極樂だ。」襟で口を抑へられたボソ/\した聲だつた。
「地獄の極樂。」
 か飛んでも[#「か飛んでも」はママ]なく離れた方から、「い――い夢見たい。」
「寢ろ/\。」
「女でも抱いたつもりでか。」
「こんな處で、それを云ふ奴があるか。」
「あゝ抱きたい。」
「馬鹿だな、誰だい。」
「何が馬鹿だ……。」
「寢ろ/\。」
 そんな言葉が時々間を置いて、思ひ/\にあつち、こつちから起つた。それがだん/\緩く、途切れ勝ちになつて行つた。二十分もすると、思ひ出したやうに、寢言らしい言葉が出る位になつてしまつた。――そして靜かになつた。
 演武場の外は、淋しい暗がりの多い通りだつた。それであまり人通りは無かつたが、時々下駄が寒氣《しばれ》のひどい雪道をギユン/\ならして通つて行くのが、今度は耳についてきた。署内で、誰かゞ遠くで呼んでゐる聲が、それがそれより馬鹿に遠くからといふ風に聞えた。
「眠れるか。」
 龍吉は眠れないので、一緒に寢てゐる齋藤にそつと言葉をかけてみた。齋藤は動かなかつた。眠つてゐた。[#「ゐた。」は底本では「ゐた」]もう眠つたのかと思ふと、それが如何にも齋藤らしかつたので、彼は獨りで微笑ましくなつた。龍吉はズキン、ズキンと底から(さうひどくはなかつたが)痛んでくる胃を、片手で揉むやうに押しながら、色々なことを考へてゐた。……
「オイ/\。」――誰だ、と思つた。今こんな面倒な頁を讀んでゐるのにと思ふと、ムラ/\ツと癪にさわつた。「オイオイ。」ぐいと肩をつかまれた。糞ツ! 振りかへらふとして、龍吉は眼をさました。非常に眠かつた。その瞬間、ダブつた寫眞のやうに、夢と現實の境ひをつけるのに、彼はしばらく眼をみはつた。さうだ、すぐ眼の前に汚い、鬚だらけの大きな巡査の顏があつた。
「オイ/\、起きるんだ[#「起きるんだ」は底本では「起きるんた」]。取調べだ。」
 ギヨツとすると、龍吉は自分でも分らずに、身體を半分起してゐた。
 寢ぼけた處を引張つて行く何時もの彼等の手だつた。ガヂヤ/\と、靜かな四圍に不吉な鍵の音をさして、巡査のあとから龍吉はついて出た。
 三十分程した。凄い程すつかり顏色のなくなつた工藤が巡査に連れられて歸つてきた。が、演武場に置いておいた荷物を※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、26−21]めると、すぐ巡査にうながされて出て行つた。彼はその時、何か云はふとするやうに皆の寢てゐる所を見廻はした。が、身體を廻はすと、ズングリな後を見せて出て行つた。――がちやん[#「がちやん」に傍点]と鍵が下りた。二人の、歩調の合つてゐない足音が廊下に何時までも聞えてゐた。
 寢がへりを打つ音や、嘆息や、發音の分らない寢言などが、泥沼に出るメタン瓦斯のやうにブツ/\起つた。

         八

 警察署は、一週間のうちに勞働運動者、勞働者、關係のインテリゲンチヤを二百人も、無茶苦茶に、豚のやうにかりたてた。[#「。」は底本では「、」]差入れにきた全然運動とは無關係の弟を、そのまゝ引きづり込んで「×××××」一週間も歸さなかつた。[#「歸さなかつた。」は底本では「歸さなかつた」]だが、こんな事はエピソ−ドの百分の一にも過ぎない。

 取調べが始つた。
 渡に對しては、この×××××がなくても、警察では是が「非でも」やツつけなければならない、と思つてゐた。合法的な[#「合法的な」に傍点]黨、組合の運動に楔のやうに無理にねぢこんで、渡を引ツこ拔かうとした。普段から、してゐた。さういふ中を彼は、然し文字通りまるで豹のやうに飛びまはつてゐた
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