イ)げなど喜ぶ。その音を聞きてわらはもおきなもいつしかとし思へばにやあらむ、いたく喜ぶ。このなかに淡路のたうめといふ人のよめる歌、
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「追風の吹きぬる時はゆくふねの帆手うちてこそうれしかりけれ」
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とぞ。ていけのことにつけていのる。
廿七日、風吹き浪あらければ船いださず。これかれかしこく(八字誰も誰もおそれイ)歎く。男たちの心なぐさめに、からうたに「日を望めば都遠し」などいふなる事のさまを聞きて、ある女のよめる歌、
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「日をだにもあま雲ちかく見るものを都へとおもふ道のはるけさ」。
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又ある人のよめる。
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「吹くかぜの絶えぬ限りし立ちくれば波路はいとゞはるけかりけり」。
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日ひと日風やまず。つまはじきしてねぬ。
廿八日、よもすがら雨やまず。けさも。
廿九日、船出して行く。うらうらと照りてこぎゆく。爪のいと長くなりにたるを見て日を數ふれば、今日は子の日なりければ切らず。正月なれば京の子の日の事いひ出でゝ、「小松もがな」といへど海中なれば難しかし。ある女の書きて出せる歌、
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「おぼつかなけふは子の日かあまならば海松をだに引かましものを」
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とぞいへる。海にて子の日の歌にてはいかゞあらむ。又ある人のよめるうた、
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「けふなれど若菜もつまず春日野のわがこぎわたる浦になければ」。
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かくいひつゝ漕ぎ行く。おもしろき所に船を寄せて「こゝやいづこ」と問ひければ、「土佐のとまり」とぞいひける。昔土佐といひける所に住みける女、この船にまじれりけり。そがいひけらく、「昔しばしありし所の名たぐひにぞあなる。あはれ」といひてよめる歌、
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「年ごろをすみし所の名にしおへばきよる浪をもあはれとぞ見る」。
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三十日、雨風ふかず。海賊は夜ありきせざなりと聞きて、夜中ばかりに船を出して阿波のみとを渡る。夜中なれば西ひんがしも見えず、男女辛く神佛を祈りてこのみとを渡りぬ。寅卯の時ばかりに、ぬ島といふ所を過ぎてたな川といふ所を渡る。からく急ぎて和泉の灘といふ所に至りぬ。今日海に浪に似たる物なし。神佛の惠蒙ぶれるに似たり。けふ船に乘りし日より數ふればみそかあまり九日になりにけり。今は和泉の國に來ぬれば海賊ものならず。
二月朔日、あしたのま雨降る。午の時ばかりにやみぬれば、和泉の灘といふ所より出でゝ漕ぎ行く。海のうへ昨日の如く風浪見えず。黒崎の松原を經て行く。所の名は黒く、松の色は青く、磯の浪は雪の如くに、貝のいろは蘇枋にて五色に今ひといろぞ足らぬ。この間に今日は箱の浦といふ所より綱手ひきて行く。かく行くあひだにある人の詠める歌、
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「玉くしげ箱のうらなみたゝぬ日は海をかゞみとたれか見ざらむ」。
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又船君のいはく「この月までなりぬること」と歎きて苦しきに堪へずして、人もいふことゝて心やりにいへる歌、
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「ひく船の綱手のながき春の日をよそかいかまでわれはへにけり」。
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聞く人の思へるやう、なぞたゞごとなると密にいふべし。「船君の辛くひねり出してよしと思へる事をえしもこそしいへ」とてつゝめきてやみぬ。俄に風なみたかければとゞまりぬ。
二日、雨風止まず。日ひとひ夜もすがら神佛をいのる。
三日、海のうへ昨日のやうなれば船いださず。風の吹くことやまねば岸の浪たちかへる。これにつけてよめる歌、
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「緒をよりてかひなきものは落ちつもる涙の玉をぬかぬなりけり」。
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かくて、今日(はイ有)暮れぬ。
四日、※[#「楫+戈」、第3水準1−86−21]取「けふ風雲のけしきはなはだあし」といひて船出さずなりぬ。然れどもひねもすに浪風たゝず。この※[#「楫+戈」、第3水準1−86−21]取は日も得計らぬかたゐなりけり。この泊の濱にはくさぐさの麗しき貝石など多かり。かゝれば唯昔の人をのみ戀ひつゝ船なる人の詠める、
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「よする浪うちも寄せなむわが戀ふる人わすれ貝おりてひろはむ」
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といへれば、ある人堪へずして船の心やりによめる、
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「わすれ貝ひろひしもせじ白玉を戀ふるをだにもかたみと思はむ」
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となむいへる。女兒のためには親をさなくなりぬべし。玉ならずもありけむをと人いはむや。されども死にし子顏よかりきといふやうもあり。猶おなじ所に日を經ることを歎きて、ある女のよめるうた、
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「手を
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