人はその筧の水で足を洗って内へ入った。
炉《いろり》の附近《まわり》に四人の男女が控えて為《い》た。男は怪量を上座《じょうざ》へ請《しょう》じてから四人を揮《ふ》り返った。
「旅の御出家をお伴れ申したのじゃ、御挨拶申せ」
四人の者は交る交る怪量の前へ出て挨拶した。いずれも言葉は上品で態度もいやしくなかった。その後で女達は怪量に粥《かゆ》の膳をすすめた。怪量は無造作に粥を啜《すす》って、終ると口を拭《ぬぐ》い拭い主人の方を見た。
「御主人、先刻《さきほど》から御容子を伺うに、どうやら世の常の木樵衆とも見受けられぬ、以前は一花《ひとはな》咲かした侍衆が、よくよくの仔細あっての山住いと睨んだが、いかがじゃ」
「それをお訊《たず》ねなされるか」
男は当惑したようにしていたが、やがて思いきったように顔をあげた。
「これも何かの縁、罪障消滅のたしになるかも判り申さぬ、それでは聞いて頂こうか。お察しの通り、以前はさる大名に仕えた侍でござったが、ふとした事から酒と女に心を奪われ、結局《あげく》の果は何人かの者に手をかけて、この地に隠れておる者でござるが、時が経つにつれて浅間しく、邪慾のために、祖先を辱かしめたるこの身が恨めしゅう、此の比《ごろ》では、つくづくと後世《ごせ》のほども案じられてなりませぬわい」
「どうやら床しい御仁体と見受け申したが、さては左様でござったか」
怪量は凝《じっ》と対手《あいて》の顔を見た。
「いや、若気の誤《あやまり》は人間の常でござるわい、それにしても早くそれに気が注《つ》かれたは、まだ御仏の助けの綱の断《き》れぬ証《しる》しでござろう。昔のことは昔のこと、此上は御仏にすがって、再び花咲く春を待たるるがよろしゅうござるぞ」
「身に沁みてのお言葉、忝《かたじ》けのうござる」
山上の夜は更けた。女達は次の間へ怪量の衾《ふすま》をのべた。すすめられるままに怪量はその部屋へ入った。
「一夜の礼じゃ、せめて読経致して、主人《あるじ》の苦悩を助けて取らそうか」
枕頭《まくらもと》に端座して低声《こごえ》で読経をつづけたが、やがてよして窓を開けた。静な月の下に筧の水音ばかりが四辺《あたり》の静寂を破っていた。
「咽喉《のど》が渇いたようじゃ、彼《あ》の水を飲んでまいろう」
怪量は家《うち》の者を起さないように、そっと襖を開けて次の間へ出た。その途端に怪量
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