は寝室らしかつた。
「さあ、ちよつと此所へかけてくださいよ、」
 年増の女が入口に近い椅子に指をさすので譲は急いで腰をかけた。
「なんですか、」
 年増の女はその前に近く立つたなりで笑つた。
「そんなに邪見になさるもんぢやありませんよ、」
「なんですか、」
「まあ、そんなにおつしやるもんぢやありませんよ、あなたは、家の奥さんの心がお判りになつたんでせう、」
「なんですか、僕にはどうも判らないですが、」
「そんな邪見なことをおつしやらずに、奥さんは、お一人で淋しがつてゐらつしやいますから、今晩、お伽をしてやつてくださいましよ、かうしてお金が唸るほどある方ですから、あなたの御都合で、どんなことでも出来るんですよ、」
「駄目ですよ、僕はすこし都合があるんですから、」
「洋行でもなんでも、あなたの好きなことが出来るんぢやありませんか、私の云ふことを聞いてくださいよ、」
「それは駄目ですよ、」
「あんたは慾を知らない方ね、」
「どうしても、僕はそんなことは出来ないんです、」
「御容色だつて、あんな綺麗な方は滅多にありやしませんよ、好いぢやありませんか、私の云ふことを聞いてくださいよ、」
「そいつはどうしても駄目ですよ、」
 年増の女の片手は譲の片手にかかつた。
「まあ、そんなことをおつしやらずに、彼方へ参りませう。私のことを聞いてくださいよ、悪いことはありませんから、」
 譲は動かなかつた。
「駄目です、僕はそんなことは厭だ、」
「好いぢやありませんか、年寄の云ふことを聞くもんですよ、」
 譲はもういらいらして来た。
「駄目ですよ、」
 叱りつけるやうに掴まへられた手を振り放した。
「あんたは邪見ねえ、」
 扉が開いて小さな婆さんがちよこちよこと這入つて来た。頭髪の真白な魚のやうな光沢のない眼をしてゐた。
「どうなつたの、お前さん、」
「駄目だよ、何んと云つても承知しないよ、」
「やれやれ、これもまた手数を食ふな、」
「野狐がついてゐるから、やつぱり駄目だよ、」
 年増の女は嘲るやうに云つたが譲の耳にはそんなことは聞えなかつた。彼はその女を突きのけるやうにして外へと飛び出した。室の中で老婆のひいひいと云ふ笑ひ声が聞えた。

          五

 譲は日本室のやうになつた畳を敷き障子を締めてあつた玄関のある方へ行くつもりで、廊下を左の方へと走るやうに歩いた。電燈なれば被を
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