った。
 彼は不審に思った。さっきの女が何故《なぜ》今までこんな処にいるのだろう。それとも己《じぶん》と同じように一人で退屈しているから散歩に来て遊んでいるのだろうか、しかし、あんなにうな垂《だ》れて考え込んでいるところを見ると何か事情があるかも判らない、傍へ寄って往ったら鬼魅《きみ》を悪がるかも判らないが一つ聞いてやろうと思った。で、腰をあげて歩きかけたが、そっと往くのは何か野心があってねらい寄るようで疚《やま》しいので、軽い咳《せき》を一二度しながらいばったように歩いて往った。
 女は咳と跫音《あしおと》に気が注《つ》いてこっちを見た。それはたしかにさきの女であった。女は別に驚きもしないふうですぐ顔をむこうの方へ向けてしまった。彼は茱萸《ぐみ》の枝に衣《きもの》の裾《すそ》を引っかけながらすぐ傍へ往った。女は※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]《きれい》な顔をまたこっちに向けた。
(あなたは、どちらにいらっしゃるのです)
(私、さっきこちらへまいりましたのですよ)
 女が淋しそうに云った。
(それじゃ、宿《やど》にはまだお入りにならないのですね)
(ええ、ちょっと、なんですから)
 彼はふと女は何人《だれ》か待合わす者でもあるかも判らないと思いだした。
(こんなに遅くなって、一人こうしていらっしゃるから、ちょっとおたずねしたのです)
(ありがとうございます、あなたはこのあたりの旅館にいらっしゃるの)
(五六日前から、すぐそこの鶏鳴館《けいめいかん》と云うのに来ているのです、もしお宿の都合で、他がいけないようならお出《い》でなさい、私は三島と云うのです)
(ありがとうございます、もしかすると、お願いいたします、三島さんとおっしゃいますね)
(そうです、三島讓と云います、じゃ、失敬します、ごつごうでおいでなさい)
 彼は女と別れて歩いたが弱よわしい女の態度が気になって、もしかするとよく新聞で見る自殺者の一人ではないだろうかと思いだした。彼は歩くのをやめて松の幹の立ち並んだ陰からそっと女の方を覗《のぞ》いた。
 女は顔に双手《りょうて》の掌《てのひら》を当てていた。それはたしかに泣いているらしかった。彼はもう夕飯《ゆうめし》のことも忘れてじっとして女の方を見ていた……。
 讓はふと道の曲り角に来たことに気がついた。で、左に折れ曲ろうとして見ると、そこに一軒の門口
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