方の声が聞えて来た。
「しぶとい人ったらありゃしないよ、何故《なぜ》はいと云わないの、いくらお前さんが強情張ったってだめじゃないの、早くはいと云いなさいよ、いくら厭《いや》だと云ったってだめだから、痛い思いをしないうちに、はいと云って、奥様に可愛がられたら好いじゃないの、はいと云いなさいよ」
讓は少年の顔に注意した。少年はぐったりとしたなりで唇も動かさなければ眼も開けようともしなかった。妹の方の声がやがて聞えて来た。
「強情はってたら、返してくれるとでも思ってるだろう、ばかな方《かた》ね、家の姉さんが見込んだ限りは、なんとしたって、この家から帰って往かれはしないよ、お前さんはばかだよ、私達が、こんなに心切《しんせつ》に云ってやっても判らないのだね」
「強情はったら、帰れると思ってるから、おかしいのですよ、ほんとうにばかですよ、また私達にいびられて、餌《え》にでもなりたいのでしょうよ」
婢《じょちゅう》は鬼魅《きみ》の悪い笑いかたをして妹の顔を見た。
「そうなると、私達は好いのだけれど、この人が可哀そうだね、何故《なぜ》こんなに強情をはるだろう、お前、もう一度よっく云ってごらんよ、それでまだ強情をはるようなら、お婆さんを呼んでおいで、お婆さんに薬を飲ませて貰うから」
婢の少年に向って云う声がまた聞えて来た。
「お前さんも、もう私達の云うことはわかってるだろうから、くどいことは云わないが、いくらお前さんが強情はったって、奥様にこうと思われたら、この家は出られないから、それよりか、はいと云って、奥様の詞《ことば》に従うが好いのだよ、奥様のお詞に従えば、この大きなお邸《やしき》で、殿様のようにして暮せるじゃないかね、なんでもしたいことができて好いじゃないの、悪いことは云わないから、はいとお云いなさいよ、好いでしょう、はいとお云いなさいよ」
少年はやはり返事もしなければ顔も動かさなかった。
「だめだよ、お婆さんを呼んでお出《い》で、とてもだめだよ」
妹の声がすると婢はそのまま室《へや》を出て往った。
妹はその後《あと》をじっと見送っていたが、婢の姿が見えなくなると少年の後《うしろ》へ廻《まわ》って双手《りょうて》をその肩に軽くかけ、何か小さな声で云いだしたが讓には聞えなかった。
女は少年の左の頬の処へ白い顔を持って往ったが、やがて紅《あか》い唇を差しだしてそれに
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