廷で女を選んで後宮に入れるということでございますから、もしそんなことにでもなると、困りますから、式はまだあげませんから、急にお嬢様をお伴れ申しました」
南も嬪御《ひんぎょ》の噂を聞いて心配しているところであった。
「それは、どうも、遠い処を大変でした」と言ったが、いくら倉卒《そうそつ》の際でも女を送ってくるには五人や十人の従者は来ているだろう、それは何処にいるだろうと思った。「そして、他の方は」
「後からまいります、それにこんな場合でございますから、充分には調いませんでしたが、それでもすこし奩妝《おこしらえ》を持ってまいりました」
ぐずぐずしていて邪魔が入ってはならないと、輿を急がしてきたので従者も奩妝も後になったものであろう、南は老婆の心地に対して何か報いなければならないと思った。
「そうでしたか、それは大変でした、さあどうか」
南は早く女を室の中に入れたかった。女は恥かしそうに俯向いていた。
「それでは、お嬢様をお願い申します、わたくしは、これから帰って、無事にお嬢様をお送り申したということを申しあげないと、旦那様と奥様が、御心配なされておりますから」と言って、女の方に向いて、「では、わたくしは、これから帰りますから、お大事に」
南はいくらなんでも遠い路を来ているから、ちょっと休んで往ってはどうだろうと思った。
「お茶でも飲んで往ったら、どうですか」
「ぐずぐずしておりましては、帰りが晩《おそ》くなりますから、では、確かにお嬢様をお渡し申しました」
老婆はそう言ってから一方の輿に乗って帰って往った。南は急いで女の傍へ往った。
「さあ、室へ往こうね」
女は俯向いたなりに何か言って頷いた。南はそこで前に立って閨房の方へ往った。女はひらひらと随いてきた。
南は女と向きあって坐った。女はやはり俯向いていた。南は早く女のはにかみを除《と》って歓を求めようとした。
「お母様のおっぱいが飲みたくはないの」
女は小声で笑った。
「お人形を持ってお嫁に往った人があるというが、あなたじゃない」
女はまた小声で笑った。
「遠い処を来たから、疲労《つか》れたんじゃない、すこし休んだらどう」
女はその時顔をあげた。白い面長な娟好《きれい》な顔が見えた。南はその顔が何人か知っている人の顔に似ているように思った。
(何人だろう)
南は心に問いながら見なおした。見なおして南ははっと思った。それは女の眼の周囲に廷章の女に似た処があったがためであった。南を包んでいたふっくらとした心地は消えてしまった。
女は起って榻《ねだい》の上にあがった。南はぼんやりそれを見ていた。女は榻にあがって横になるなり、被《かいまき》を取って顔の上から被った。
南は傍に腰をかけていた。南は強《し》いて新人に歓を求める場合を頭に描きなどして、厭な不吉な追憶を消そうとしたが消えなかった。そのうちに日が暮れかけた。後からきていると言った従者と奩妝《こしらえ》は着かなかった。要人の老人は室の口へ来て南を呼んだ。
「旦那、ちょっといらしてください」
南は要人に声をかけられて夢が覚めたようになって外へ出た。要人は小声で囁くように言った。
「旦那、曹の方の人はこないじゃありませんか、どうしたというのでしょうね」
そう言われてみると従者も奩妝もあまり着くのが遅いのであった。
「どうしたのだろう」
「途でまちがいでもあったのでしょうか」
「そうだなあ、あの女が来たのは、午であったから、もう疾《とう》に着かなくちゃならないが、どうしたのだろう」
「奥様に伺ってみたら、どうでございます」
「そうだな、あの女も疲労れたとみえて眠ってるが、起して聞いてみてもいい、まちがいがあるといけないから」
「そうでございますよ、この節は物騒ですから」
「そうだ、じゃ起して聞いてみよう、お前もくるがいい」
南は要人を伴れて中へ入ったが、吃驚《びっくり》さしてはいけないと思ったので、榻の傍へそっと往って声をかけた。
「まだ睡いの、よく眠るじゃないか」
女はぐっすり眠っているのか眼を覚さなかった。
「大変疲労れたとみえるね、よく眠るじゃないか」南はそう言い言い隻手《かたて》を女にかけながら、「ちと眼を覚したら、どう」
女の感触は冷たかった。それに動きもしなかった。南は不思議に思って被をそっと除った。女は冷たくなっていた。南はのけぞって倒れた。
要人は南を介抱すると共に使いを曹へやった。曹では女を送って往ったことはないといって使いを帰してきた。南の家ではまた怪しい死体の処置に困った。
その時|姚《ちょう》という孝廉があって、その女が歿くなって葬式をしたところで、一晩おいて盗賊の為に棺を破られ死体と同時《いっしょ》に入れてあった宝物も共に奪われた。孝廉は怒り悲しんで憎むべき盗賊の詮議をさしていたところで、南の家に怪しい死体が新人になってきたという噂が聞えてきたので数人の従者を伴れて南の家へ往った。
「怪しい死体を見せてもらいたい」
南も厭とは言えなかった。南は孝廉を案内して死体を置いてある室へ往った。孝廉は死体を一眼見て叫んだ。
「嬢だ、嬢だ、家の嬢だ、嬢の死体を盗んだ者は、此処の悪党だ、ふん縛れ」
従者は南を取って押えて縄をかけた。孝廉はそれを府庁に送った。府庁でも南の家の再三の怪事を見て、南の悪行の報いであるとし、冢《つか》を発《あば》くの罪に問うて南を死刑に処した。
底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月8日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年11月30日発行
入力:Hiroshi_O
※「要路の吏に賄賂を用いたので」「蹴開くようにして入ってきた者があった」は、それぞれ「要路の吏に賄路を用いたので」「蹴開くようにして入ったきた者があった」でしたが、親本を参照して直しました。
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年8月3日作成
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