方の知己《しりあい》か」
「これは、わたくしの女でございます、南三復と関係してこの児を生みました、二人は南三復に殺されました」
 吏はまた叱った。
「これ、そんなことをもうしてはならんというに、南は有名な世家だ、そんなことをする人柄じゃない」
「いや、南でございます、南三復はわたくしの家へ来て、わたくしの眼を窃んで、わたくしの女をだまして、児を生ませました、村の衆も知っております」
「それでは、府廨へこい、府廨で検べる」
 吏は女と児の死体を舁《かつ》がせ、廷章を伴れて引きあげて往ったが、廷章の詞は理路整然としていて誣告《じょうだん》でもないようであるから、南を呼びだすことにして牒《つうち》を南の家へだした。南は恐れて晋陽の令をはじめ要路の吏に賄賂を用いたので、断獄《さいばん》はうやむやになって南はそのままになり、廷章は女と児の死体をさげわたされて事件は落着した。
 南はすずしい顔をして外出ができるようになった。その南の許へかの媒婆が来た。
「へんなことを聞いたものでございますから、心配しておりましたが、何もなくて結構でございました」
「いや、あんな奴にかかりあっちゃかなわないね、そこいらあたりの若い奴と、いたずらしたのを、僕が時おり往ったものだから、僕になすりつけて、ものにしようとしたものだよ、いくらなんだってあんな土百姓の女なんかに、手出しなんかするものかね」
「そうでございますとも、先方の旦那が、厭な噂があるが、ほんとかと仰しゃるものですから、わたしもそう言ったのですよ、なんぼなんだって、世家の旦那が、あんな汚い土百姓の女なんかに、手出しなんかするものですかって、ほんとに災難でございましたね」
「とんだ災難さ、いつか別荘へ往ってて、帰りに雨に逢ったものだから、雨をやまそうと思って往ってみると、酒なんか出すものだから、感心な百姓だと思って、別荘の往復に、時どき寄って、ものをくれてやったりなんかしたが、先方は初めから女を媒鳥《おとり》にして、ものにするつもりでかかってたものだよ、酷い目に逢ったよ」
「そうでございますよ、これというのも、奥様を早くお定めにならないからでございますよ」
「そうかも知れないね」
「そうでございますよ、だから、わたしも早く、あれを纏めようとしてるのですよ、旦那の方には、確かに異存はございますまい」
 南は早く結婚して悪評を消したかった。
「ないさ、纏まりそうかね」
「こんなことがなかったら、とうに纏まっておりますよ、いつもわたしが申しますように、先方ではあなたのことをほめていらっしゃいますし、お嬢様もすすんでおりますから」
 その夜のことであった。南と女を結婚させてもいいと思っている大家の主人は、自分の室で簿書《ちょうめん》を開けて計算をしていたが、ものの気配がするので顔をあげた。頭髪《かみのけ》を解いて両肩のあたりに垂らした小柄な女が嬰児《あかんぼ》を抱いて前に立っていた。
「お前は何人だ」
 女は首を垂れているので顔は見えなかった。
「賤しいものでございますから、名を申しあげてもお解りになりますまい」
「なにしに来た」
「当方《こちら》のお嬢さんを南三復の奥さんになされようとしておりますから、それであがりました、どうか南三復の奥さんになさらないようにしてくださいまし、そうでないと、お嬢さんの生命を奪らなくては、ならないようになりますから」
 主人は驚いて逃げようとした。主人は卓に凭《もた》れてうたたねをしていたのであった。朝になったところで、媒婆が来た。
「旦那様、南さんに昨日逢ってまいりましたが、やっぱりわたしが申したとおり、南さんは百姓のわなにかかったものでございますよ、いつか別荘の帰りに雨に逢って、雨宿りに往って酒を出されたものですから、感心な百姓だと思って、ものを持っててやったりなんかしたものですから、先方はものにしようとして、あんなことになったのですって」
「そうかね」
 主人はふと、怪しい夢のことを思いだした。
「確かに、南さんが手を出したものじゃないかね」
 媒婆は笑った。
「そんなことがあってたまるものですか、あんな世家の旦那が、何の好奇《ものずき》に土百姓の汚い女なんかに、手を出すものですか、金は唸るほどあるし、女が欲しけりゃ、いくらでも娟好《きれい》な女が手に入るじゃありませんか、こんなことになったのも、あんな土百姓にでも、ちょっとした恩になると、それをそのままにしていられないという、立派な人柄からきたものでございますよ」
 主人はその人柄より南の家の金に心が往っていた。金があれば面倒を見てやらなくてもいい、それに女も幸福である。
「では、定めようか」

 話は纏まったが、南は※[#「占のあたま/(冂<メ)/禽のあし」、229−10]《ゆいのう》を贈って字《やくそく》したが、早く結婚する必要があるので、媒婆をせきたてて日を選まし、その日になると習慣に従って新人《しんふじん》を迎えに往った。
 晋陽屈指の大家を親に持った、新人の奩妝《よめいりどうぐ》は豊盛《とよさか》であった。南はその夜赤い蝋燭《ろうそく》のとろとろ燃える室で新人とさし向った。新人は白い娟好な顔をしていたが、双方の眼に涙があった。
「どうしたの、淋しいの」
 南は抱いて頬ずりしてやりたいように思った。
 新人の顔はますます悲しそうになって涙が後から後から湧いた。
「お母さんが、こいしいの」
 南は新人の気を換えようとした。新人はとうとう顔に手を当てた。
「どうしたの」
 南はその肩に手をかけた。
「どうもしないのですの」
 新人は微《かす》かに言った。南は煩《うるさ》くその理由《わけ》を聞くこともできなかった。
 南はその夜、凍《こおり》のように冷たい新人と枕席《まくら》を共にした。南は望んでいた情調を味わうことができなかった。
 三四日してのことであった。南は閨房《おくのま》で新人とさし向っていた。新人はやはり悲しそうな顔をしていたが、それでも何処かに艶めかしいところのあるのが眼に注いた。南はそれに嫉妬を感じた。それは女がこんなにするのは他に関係していた男があって、それと別れたのでそれで悲しんでいるのではないかという疑いからであった。
「なぜ、そんなにする、何人かに逢いたいのじゃない」
「そ、そ、そんな、ことが」
 新人は酷く惶てたようにした。それは秘密を見知られた時にでもするような惶て方であった。南はてっきりそうだと思った。
「…………」
 南がまた何か言いかけたところで、室の外で声がした。
「お客様でございます」
 それは南の家に久しくいる媼《ばあや》であった。南はその来客の何者であるかということを考えるよりも、こうした閨閣《けいごう》の中へ遠慮もなく入ってくる客の礼儀を弁《わきま》えない行為に対して神経を尖らした。と、一方の扉が開いて外の人がずかずかと入ってきた。それは新人の父親であった。
「これは、お父様ですか」
 岳父《しゅうと》のくる時期でもないし、それに前触れもなかったので南は思いもよらなかった。南はあたふたと起って迎えた。
「なにね、これが来てから夢見が悪いものだから、心配になってね、べつに変ったこともないようだね」と言って、南にやっていた眼を女に移した父親は、眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]った。「こりゃ、家の女じゃない、家の女は何処へ往ったのだ」
 南は驚いて新人の方を見た。新人は正面に南の方を見ていた。それは今まで見ていた悲しそうな新人の顔でなくて、輪廓の整った廷章の女の顔であった。南は頭ががんとなって気を失った。同時に怪しい新人は朽木を倒すようにどたりと床の上に倒れた。
「大変です、大変です、奥様が大変です」
 新人の父親が締めかけにしてあった室の扉を蹴開くようにして入ってきた者があった。それは新人に随ってきている婢《じょちゅう》の一人であった。
「奥様が、ど、どうした」
「奥様が桃の樹で大変です」
 新人の父親はいきなり駈けだした。
 婢はその後から随って往った。戸外《そと》には霧のような雨が降っていた。庭へおりると婢が前《さき》にたって後園の方へ往った。其処には桃園《ももぞの》があって、青葉の葉陰に小さな実の見えるその樹の一株に青い紐を懸けて縊死《いし》している者があった。それは新人であった。
 南は喚びさまされてやっと正気づいた。南は起きあがりながら見のこした夢の跡を追うように前を見た。其処には廷章の女の冷やかな死体が横たわっていた。南は恐ろしいので外へ逃げだした。
「旦那様、奥様が大変でございますよ」
 南の傍には媼がいた。媼の頭には新人の凶変のみが映っていた。媼は南を引きずるようにして後園へ往った。
 後園の桃園では女の死体をおろした岳父が狂気のようになって、婢のはこんできた薬湯を口や鼻から注ぎ込んでいた。
「魂《たま》よせじゃ、魂よせじゃ」
 岳父は薬湯の器をほうりだして叫んだ。岳父は女の蘇生しないのはもうその魂が野に迷いでたがためであると思った。婢は近くの巫女《みこ》の家へやられた。巫女は婢といっしょに来て新人の死体の傍へ草薦《こも》をしいて祈った。怪しい猿か何かの叫ぶような巫女の声が暫く続いたが、魂は還ってこないのか新人は蘇生しなかった。岳父は泣きながら女の死体を引き取って帰って往った。
 混惑の裡にあやつり人形のようになっていた南は、要人に注意せられて心をひきしめなくてはならなかった。要人は父親の代からいる老人であった。要人は怪しい死体の始末に困っていた。
「旦那、あのへんな死骸ですが、どうしたものでしょう」
「そうだな」
 南にもどうしていいか解らなかった。
「ぜんたい、どうした死骸でしょう」
「ありゃ、どうも、あの廷章の女の死骸だよ」
「そうですか」と言って要人は、何か考え込んだが、「悪い奴があって、奥様を殺しておいて、あんな死骸を持ち込んできたかも解らないですが、これが表沙汰になると、どんな結果《はめ》になるかも解りませんから、廷章の方へ、じかにわたりをつけようじゃありませんか」
 南も表沙汰にして自分の罪悪が現れるようなことがあっては困ると思った。
「そうだ、それがいい」
 要人は怪しい死体を持って廷章の家へ往った。廷章は半ば疑いながら土地の習慣に従って浅く土をかけて葬ってある女の棺を開けてみた。棺の中には嬰児の死体ばかりあって女の死体はなかった。踏みにじられてその枉屈《おうくつ》を述べることもできないで泣いていた廷章は激怒した。廷章は要人の金を出すからという妥協に耳をかさないで、府庁《やくしょ》に訴えた。府庁でもあまり奇怪なことであるから手の下しようがなかった。南は万一のことがあってはならないと思ってまた賄賂を用いたので、その事件もそのままになってしまった。
 事件はそのままになってもその噂がぱっと拡がったので南が結婚しようと思っても女をくれる者がなかった。南はとても家の近くではいけないと思ったので遠くの方を物色した。そして二三年の後にやっと曹《そう》という進士の女と結婚することになった。
 その比晋陽の付近に何人いうとなく一つの噂が伝わってきた。それは良家の女を選んで後宮へ入れるという噂であった。字《やくそく》して聘《むか》えられる日を待っている女の家では驚惶《きょうこう》して吾も吾もと女を夫の家へ送った。
 その時南の家へ二梃の輿《こし》が来た。※[#「門<昏」、第3水準1−93−52]者《もんばん》は出て往って聞いた。
「何方《どなた》様でございましょう」
 後の輿から年とった女の声がした。
「わたくしは曹からまいりました、旦那様にお取りつぎくださいまし」
 ※[#「門<昏」、第3水準1−93−52]者は曹からと聞いていそいで南の処へ往って取りついだ。南は曹から何の用事で来たろうと思って出て往った。門口には輿から降りたばかりの十五六の背のすらりとした少女と老婆が立っていた。
「これは南の旦那様でございますか、わたくしは曹からまいりましたものでございます、あなた様もお聞きになっていられるだろうと思いますが、今朝《こんど》朝
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