った。臂が落ちた。黄な衣服を着た者はそこで逃げていった。白い衣服を着た者が汪に飛びかかって来た。汪は刀でその顱《あたま》を切った。顱は水の中に堕ちて音がした。怪しい声は大声を立てながら水の中へ飛び込んでしまった。
 そこで船頭と相談して舟をやろうとしていると、やがて巨きな喙《くちばし》が水の面に出て来た。それは深い闊《ひろ》い井戸のようなものであった。それと共に四方の湖の水が奔《はし》るように流れだして、ごうごうという響がおこったが、俄《にわか》にそれが噴きあがるように湧きたって大きな浪となり、浪頭は空の星にとどきそうに見えた。湖の中にいたたくさんの舟は、簸《み》であおられるように漂わされた。湖の上にいる人達はひどく恐れた。
 舟の上には石鼓《せきこ》が二つあった。皆百|斤《きん》の重さのあるものであった。汪はその一つを持って水の中へ投げた。石鼓は水を打って雷のように鳴った。と、浪がだんだんとなくなって来た。汪はまた残りの一つを投げた。それで風も浪もないでしまった。汪はその時父親を鬼《ゆうれい》ではないかと疑った。叟はいった。
「わしはまだ死んではいない。わしと一緒に溺れた者は十九人あったが、皆、あの怪しい物に食われてしまったのだ。わしは球が蹴れたから、たすかっているので、あれは、銭塘の神に罪を犯したから、この洞庭へ逃げているのだ。あれは魚の精だよ、蹴ったものは魚の胞《えな》だ。」
 そこで父子は一緒になれたことを喜びあった。舟はその夜の中に出発した。夜が明けてから見ると舟の中に魚の翅《ひれ》が落ちていた。さしわたしが四、五尺ばかりもあった。そこでこれは宵に切った臂《ひじ》であったということを悟ったのであった。



底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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