いぼうとした月の円さ位のものがあって、それが見ているうちに螢火のようにばらばらになって下へ落ちてしまった。私の頭には八番の陰火《けちび》と云うことが思いだされた。と、また松の上に火の団《かたまり》が見えて、見えたかと思うと、またばらばらに散った。私の頭はじゃんとして体が痺れたようになった。私の側にいた寅という少年は泣いた。
 この旗奪の夜の怪異は、今から考えてみると実在の怪異であったか、それとも怪異の恐怖の中から創作したものであったか、それはどうもはっきりしないが、その後にあった一つの怪異は実在のもので、老媼茶話の中にでもありそうな話であるが、それは後になって人間の巧智の所産であることが判った。それは私が十二三のときのことであったが、村の人家の北側になった山の麓に清導寺と云う寺があって、其処の住職に対する批評を何人《だれ》がするともなしにしだしたのを聞いた。その寺は肉食妻帯の寺でその住職には妻子があった。
「あんななまぐさ坊主は、法力がないから、あんな山の中にはおることができんそうじゃ」
「清導寺の坊さんは、法力がないと云うじゃないか」
「黒い牛のようなものが、夜よる本堂に出るということじゃ」
「あの山には、天狗がおるから、なまぐさ坊主はおれまい」
 清導寺の上になった山の頂上には大きな岩が立っていて叩くとかんかんと鳴ると云うので、村の者はかんかん岩と云っていた。少年仲間の久馬と云うのが、某日《あるひ》そのかんかん岩へ遊びに往って、天狗に投げられたと云って頭の怪我を見せて、「白兎が、早う返れ返れと云うてくれたと云うが、俺には見えざった」と、云ったのを覚えていたので、私はなるほど清導寺の谷は怖い処だと思った。
「あの坊さんは、ほんまに法力がないじゃろうか」
「ちっともないというよ」
「そうか」
「あんな法力のない坊主は、しようがない、何人《だれ》か力のある人を呼うで来にゃあいかんと皆が云いよる」
 清導寺谷の下の方にさんでんと云う畑があった。
「今日、さんでんの上の方を鷲が飛びよったと云うぞ」
「ほう鷲が」
「そうよ、鷲が」
「鷲が此処な処におるじゃろうか」
「どうか知らんが、飛びよったと云うぞ」
「鷲は人を掴むと云うじゃないか」
「掴むとも、三之助は鷲に掴まれたじゃないか」
 三之助とは芝居に出て来る少年のことであった。また、北隣の老人と隣の男はこんな話をしあった。
「ありゃ鷲じゃのうて、熊鷹と云うじゃないか」
「ありゃ、なしじゃよ」
「なしという鳥があるかよ」
「いや、はなしじゃよ」
 冗談を云ったのは北隣の老人であった。その鷲の噂があってから数日して、私達をおびえさした事件が起った。それは昼間寝かしてあった清導寺の嬰児《あかんぼ》が寺の傍の野雪隠《のぜっちん》の中に落ちて死んでいたと云う事件であった。そして、嬰児にさしてあった襁褓《おしめ》が庭の梅の木の枝にかかっていたと云って、嬰児は鷲に掴まれたと云うことになった。
「ありゃあ、どうしても鷲じゃ」
「さんでんの上を飛びよった鷲じゃよ」
「熊鷹でも小供位は掴む」
「小供が怖い、これから小供に気を注《つ》けんといかん」
「ありゃあ、お寺の坊主の力がたらんからじゃ」
「力のある坊主を伴《つ》れて来にゃあいかん」
「ありゃあ見せしめじゃ」
 村は暫く寺の嬰児《あかんぼ》の死んだ噂で持ちきっていたが、それも何時の間にか忘れられてしまった。その嬰児の死んだ噂の消えた時分のこと、それは事件の起った時からどれ位時間の隔たりがあったか判らないが、某日《あるひ》の夕方、私は二三人の少年仲間とすぐ近くの畳屋と云う家の庭で遊んでいた。其処は代々畳屋をやっていたが、肥った白|痘痕《あばた》のある其処の主人が歿くなるとともに商売をよして、その比は老婆と年とった娘が何もせずにいた。私たちはその畳屋の庭で、木の枝の削ったのを地べたに打ち込んで執りっこをする根っ木というのをしていたところで、堀内と云う村の巡査がつかつかと入って来て、私達の傍を通って表座敷の縁側の方へ往ったが、私達は根っ木に気をとられていたのでべつに注意もせずにいると、不意に表座敷の方で獣の吠えるような鬼魅の悪い怒りたった人声がする間もなく、障子のばたばたと倒れる音がした。私達は驚いて根っ木をやめた。畳屋の表座敷を借りて祈祷などをしていた総髪にした山伏と巡査が組みあったままで縁側に出たところであったが、間もなく二人の体は庭におりてくると黒い渦を巻いた。
 山伏の獣の吠えるような怒声は一層私たちをはらはらさした。その私達のはらはらしている前を巡査は両手を後手に縛った山伏を引きたてて往ったが、その山伏の蒼白い口髯の濃い口元に血がにじんでいたので、鬼魅が悪くなって顔をそむけている間に、もう巡査は山伏を引きたてて入口の掘立門を出て往った。
「山伏が
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