れた飛脚の魂で、今にその手紙を尋ねているので、「状がここにあるぞう」と、云って呼んでも来るのであった。
神の峰であったか陽貴山の山であったか、其処には陰火が山をぐるりととり巻くことがあって、それを見た者は必ず死んだ。陰火は到る処に燃えもすればふうわりふうわりと飛びもした。
狸も人をたぶらかした。村の老人が通っていると、狸が木の葉を身につけて人間に化けているので、「そんなことでは駄目だ、こういうふうにしろ」と、云って狸を欺して袋に入れ、殺して汁にたいたと云うこともあった。
しばてんが麦のかさうれ時に出て、夕方野に遊んでいる小供を伴れて往った。そのしばてんは小坊主になって人が通りかかると、「相撲とろか、相撲とろか」と、云っていどんだ。小坊主の癖に生意気だから投げ飛ばしてやろうと思って、相撲をとってみると反対《あべこべ》に投げ飛ばされるので、これはおかしいと思ってまたかかって往くとまた投げ飛ばされる。そうして小坊主を対手にしていると朝になって通りかかった者に注意せられ、気が注《つ》いてみると己《じぶん》は荊棘《いばら》と相撲をとって血みどろになっている。そのしばてんの一種のえんこうは水に泳いでいる子供の肛門をぬいた。
生霊がとり憑き、犬神がとり憑き、道を歩いていると七人|御先《みさき》が来て、それに往き逢った者は熱病にかかった。海では風の静な晩、船幽霊の漕ぐよいよいよいと云う櫓の音が聞えた。
某《ある》夏の微月の射した晩、夜学会をやっていた仲間の少年達と台場の沖という処へ旗奪《はたばい》に往ったことがあった。台場とは藩政時代に外夷に備えるために築いた砲台で、小山のようになった土塁の上には大きな松などが生えていた。私達はその台場の南側の草原で旗奪をやった。それは尖《さき》の方に縄切を結えた大きな竹竿を建て、両組に別れた少年達がその下に押し寄せて、敵方の妨害をしながら隙を見て竹竿に攀じ登り、解いた縄切を味方に執らすように投げて、其処へも迫って来る敵方を排し除けて首尾良く味方の陣地に持ちつける遊戯であった。
私達はその旗奪を数回やって休んでいたところで、何人《だれ》かが小さな声で、
「あれが見えるか、あれが見えるか」
と、云うので眼をあげると小さな一つの手が東の方を指している。何だろうと思ってその方へ眼をやると、それは八番のあれの陸《おか》の方になった松の梢に蒼白
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