わなければ、これからどんなことでもいたしましょう」
 章は親もない兄弟もない、独身の貧しい猟師であった。
「私は、親もない兄弟もない、独身者の自由な体だ」
「では、どこにいらしてもかまわないのですね」
「そうですとも、どこにおってもかまわないのです」
「では、私達といっしょにいらしてくださいませんか」
「いいですとも」

 章は女の家に同居することにして室をもらった。朝の食事にも女も乳母も宵のように無邪気であった。章は女のそうした容にあきたりないところがあった。
 食事がすむと章は弓を手にして出かけて往った。そして、夕方になると獲た鳥や獣を持って帰ってきた。
 焚火の傍で三人の食事で行われた。女と乳母は相変らず無邪気に物を喫《く》った。
 章が気をつけてみると、女と乳母は昼間はどこかへ出かけて往った。章はある時、それを乳母に訊いた。
「毎日どこかへ出かけて往くようですが、どこへ往くのです」
 乳母は章の顔を見て、その眼の色を読むようにした。
「別にどこへも往くのじゃありませんが、ただぶらぶらと二人で往ってくるのですよ」
 章はただ目的もないのに毎日出て往くというのが不思議に思われた。それに自個《じぶん》のとってこない鳥獣の肉がたくさんあることがあるので、ついすると、二人で猟にでも往くのではないかと思ったが、べつに弓矢らしい物を構えているようにも思われなかった。章はある日、またその不審を質《ただ》そうとした。
「どこかへ往ってるでしょう、隠さなくてもいいじゃありませんか」
「ほんとうは、この前方《むこう》の山に、お嬢さんの叔母さんになる方が隠れておりますから、そこへ遊びに往きます」
 章の疑はやっと解けた。疑が解けるとともに、むこうの山へ往き来する路に、いつも狼の出没する危険を思いだした。
「彼処《あそこ》には、狼がおるじゃありませんか、あぶないですよ、今度往く時には、私が送ってあげましょう」
「いや、二人は慣れておりますから大丈夫ですよ、狼が来ても巧く逃げますから」
「いや、それはあぶない、いくら慣れておっても、女ではいつどんな目に遭うか判りません」
 章は自個の経験している狼の恐ろしいことを懇々と説き聞かせた。しかし、二人はそれを用いなかった。章が狩に出かけて往くと、その後でやはり二人で出かけて往った。
 章は二人が自分の言葉を用いないので、それを言うことは止して
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