て、昼は草木によっかかり、夜は足にまかせて、浮き沈みしていて、ふと章の家へ往って、少女が榻の上に寝ているのについたのです」
 蓮香は黙々としてそれを聞きながら心に思うことがあるようなふうであった。それから二箇月して蓮香は一人の児《こども》を生んだが、産後にわかに病気になって、日に日に重くなって往った。蓮香は燕児の手を取って言った。
「児を頼みますよ、私の子はあなたの子だから」
 燕児は泣いた。姑《しゅうとめ》がなぐさめて医師を呼ぼうとしたが蓮香は聞かなかった。蓮香の病気はますます重くなって、息ももうかすかになった。桑と燕児は声をあげて泣いた。すると蓮香が目を見はって言った。
「泣かないでください、あなた達は生きるのが楽しみだが、私は死ぬのが、楽しみですよ、もし縁があるなら、十年の後にまたお目にかかりますよ」
 蓮香はそう言ってから死んでしまった。蒲団を開いて死骸を収めようとすると狐になった。桑は不思議な物として見るに忍びないので手厚く葬った。桑は蓮香の生んだ子の名を狐児とつけた。燕児は自分の子のようにして愛し、清明の節には必ずそれを抱いて蓮香の墓へ往った。
 後《のち》十年、桑は郷試に及第して挙人となったので、家も漸く裕《ゆたか》になった。狐児は頗る慧《りこう》であったが、どうも体が弱くてよく病気に罹った。燕児はそれが育たなくなっては大変だと思ったので、いつも桑に妾を置けと言っていた。
 ある日、婢《じょちゅう》がきて一人の老婆が女の子を併れてきて、売りたいと言っていると知らした。燕児が呼び入れさした、そして燕児は女の子を見るなり、ひどく驚いたように言った。
「蓮香姉さんが、またいらしたわ」
 桑も出て往って見た。それは蓮香にそっくりの女であった。桑も駭いた。桑は訊いた。
「年はいくつだね」
「十四でございます、はい、旦那様」
「金はいくらだ」
「この年寄の一人しかない児でございますが、いいお家で御厄介になって、私が御飯が食べる所ができて、後日のたれ死をしないようでございますなら、結構でございます」
 桑は金を多く取らして女を家に置いた。燕児は女の子の手を握って密室へ入って往って、その襟に手をかけて笑った。
「おまえは、私を知らないの」
 女は言った。
「知りません」
「苗字は何というの」
「葦《い》といいます、父は徐城《じょじょう》で醤油を売っておりました。歿くなって三年になります」
 燕児は指を折って考えた。蓮香が歿くなってちょうど十四年になっている。またつくづくと女を見ると容貌から態度まで蓮香とそっくりであった。そこでその首筋を折って言った。
「蓮香姉さん、蓮香姉さん、十年して逢うと言った約束は嘘《うそ》ではなかったのですね」
 女はたちまち夢が醒めたようになって胸がひらけた。
「あ」
 そこで燕児をつくづく見た。桑は笑って、
「これかつて相識るの燕帰来に似たり」
 と晏殊《あんしゅ》の春恨詞《しゅんこんし》の一節を口にした。すると女は泣いて言った。
「そうです、私の母が言ってました、私が生れた時、よく自分で蓮香ということを言ったものですから、不祥だといって、犬の血を飲ましたものですから解らないようになっておりましたが、今日夢の醒めたようになりました」
 そこで共に前生の話をして、悲喜こもごもいたるという有様であった。寒食《かんしょく》の日になって燕が言った。
「今日は、蓮香姉さんにおまいりをする日ですよ」
 そこで三人で蓮香の墓へ往った。春草が離々《りり》と生《は》えて、墓標に植えた木がもう一抱えになっていた。女はそれを見て吐息した。燕児の李は桑に言った。
「私と蓮香姉さんは、両世の情好がありますから、離れているのに忍びません、どうかいっしょの穴に埋めてください」
 桑はその言葉に従って李の塚を開いて骨《こつ》を得て帰り、それを蓮香の墓に合葬した。親戚朋友がその不思議を聞き伝えて、祭祀の時のような服装をしてきたが、期せずして二三百人の者があつまった。
 予(蒲松齢《ほしょうれい》)は庚戌《こうじゅつ》の歳《とし》、南に遊んで泝州に往き、雨にへだてられて旅舎に休んでいたが、そこに劉生子敬という者がある。その中表親に当る同社の王子章の撰する所の桑生伝を見せてくれたがこれはその梗概である。



底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年8月4日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年11月30日発行
入力:Hiroshi_O
校正:小林繁雄、門田裕志
2003年9月29日作成
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