ができないなら、強《し》いはしないが、もし君が心にかけていてくれるなら、更に改めてお迎えをしよう。」
 とうとう彼の褐衣の内官に命じて、竇を送って帰らした。その途中で内官は竇にいった。
「さっき王が婚礼をさすといったのは、あなたを※[#「馬+付」、第4水準2−92−84]馬《ふば》にして結婚させようとしていたようですよ。なぜ黙っていたのです。」
 竇は足ずりして悔んだがおっつかなかった。そこでとうとう家に帰った。帰ったかと思うと忽ち夢が醒めた。簷《のき》には夕陽が残っていた。竇は起きて目をつむってじっと考えた。王宮へいったことがありありと目に見えて来た。晩になって竇は、斎《へや》の燭《あかり》を消して、また彼の夢のことを思ったが、夢の国の路は遠くていくことができなかった。竇はただ悔み歎くのみであった。
 ある晩、竇は友人と榻《ねだい》を一つにして寝ていた。と、忽ち前の褐衣の内官が来て、王の命を伝えて竇を召した。竇は喜んでついていった。
 竇は王の前へいって拝謁した。王は起って竇の手を曳《ひ》いて殿上にあげ、すこし引きさがって坐っていった。
「君がその後、子供のことを思ってくれたことを知っておる。子供と婚礼してもらいたいが、君は疑わないだろうか。」
 竇はそこで礼をいった。王は学士や大臣に命じて宴席に陪侍《ばいじ》さした。酒が闌《たけなわ》になった時、宮女が進み出ていった。
「公主のお仕度がととのいました。」
 供に三、四十人の宮女が公主を奉じて出て来た。公主は紅《あか》い錦《にしき》で顔をくるんでしっとりと歩いて来た。二人は毛氈《もうせん》の上へあがって、たがいに拝しあって結婚の式をあげた。
 式がおわると公主は竇を送って館舎に帰った。夫婦のいる室《へや》は温かで清らかであった。竇は公主にいった。
「あなたを見ると、ほんとに楽しくって、死ぬることも忘れるが、ただこれが夢でないかと心配するのです。」
 公主は口に袖をやっていった。
「私とあなたと確かにこうしているではありませんか。どうしてこれが夢なものですか。」
 朝になって起きると、竇はたわむれに公主の顔に白粉をつけてやった。竇はまたその後で帯で公主の腰のまわりをはかり、それから指で足のまわりをはかった。公主は笑って訊いた。
「あなたは気が違ったのではありませんか。」
 竇はいった。
「わたしは時どき夢のためにあやまられるから、精しくしらべておくのです。こうしておけば、もし、これが夢であっても、想いだすことができるのですから。」
 竇の戯れ笑う声がまだおわらないうちに、一人の宮女があたふたと走って来ていった。
「妖怪《ばけもの》が宮門に入りましたから、王は偏殿《へんでん》に避けられました、おそろしい禍《わざわい》がすぐ起ります。」
 竇は大いに驚いて王の所へかけつけた。王は竇の手を執《と》って泣いていった。
「どうか棄てないで、国の安泰をはかってくれ。天が、※[#「((山/(追−しんにゅう)+辛)/子」、第4水準2−5−90]《わざわい》を降して、国祚《こくそ》が覆《くつがえ》ろうとしておる。どうしたらいいだろう。」
 竇は驚いて訊いた。
「それはどんなことでございます。」
 王は案《つくえ》の上の上奏文を取って竇の前に投げた。竇は啓《あ》けて読んだ。それは含香殿《がんこうでん》大学士|黒翼《こくよく》の上奏文であった。
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含香殿大学士、臣黒翼、非常の妖異を為す、早く郡を遷《うつ》し、以て国脈を存することを祈る。黄門《こうもん》の報称に拠るに、五月初六日より、一千丈の巨蟒《きょもう》来り、宮外に盤踞《ばんきょ》し、内外臣民を呑食《どんしょく》する一万三千八百余口、過ぐる所の宮殿、尽《ことごと》く邱墟《きゅうきょ》と成りて等し。因《よっ》て臣勇を奮い前《すす》み窺いて、確かに妖蟒《ようもう》を見る。頭、山岳の如く、目、江海に等し。首を昂《あ》ぐれば即《すなわ》ち殿閣|斉《ひと》しく呑み、腰を伸ばせば則ち楼垣尽く覆《くつがえ》る。真に千古末だ見ざるの凶、万代遭わざるの禍、社稜宗廟《しゃしょくそうびょう》、危、旦夕《たんせき》に在り。乞う皇上早く宮眷《きゅうけん》を率《ひき》いて、速やかに楽土に遷《うつ》れよ云云。
[#ここで字下げ終わり]
 竇は読み畢《おわ》って顔の色が土のようになった。その時宮女が奔《はし》って来て奏聞《そうもん》した。
「妖物《ばけもの》がまいりました。」
 宮殿の中は哀しそうに泣く泣き声で満たされた。それは天日もなくなったような惨澹《さんたん》たるものであった。王はあわてふためいて何をすることもできなかった。ただ泣いて竇の方を向いていった。
「子供はもう先生に願います。」
 竇は息をきって帰った。公主は侍女と首を抱きあって哀しそうに泣
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