で累の婿養子になったものであったが、累が醜いうえにやかましいので、それを亡くして他から※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]な女を後妻にもらおうと思って残忍にも累を殺したのであった。
 与右衛門は何人《だれ》にも知られないで安やすと累を亡いものにしたので、後妻をもらうことにしたが、与右衛門の家には家についた田畑が多く従って家も豊かであるから後妻はすぐ見つかった。与右衛門は思うとおりになったので、秘《ひそか》に喜んでいると、その後妻はすぐ病気になって死んでしまった。
 与右衛門はそこで三人目の女房を迎えたが、その女房もすぐ病気で死んでしまった。残忍な与右衛門もこれには神経を悩ましたと思われるが、それでも好い女房をもらうために義理ある女房を殺すほどの男であるからそのままにはいなかった。彼は四人目の女房を迎え、五人目の女房を迎えたが、それもすぐ死んでしまって、六人目に迎えた女房だけは、すぐ死なないで女の子を生んだ。女の子にはお菊《きく》と云う名をつけた。
 与右衛門はそれでも女房のことを心配していたが、それは寛文《かんぶん》十一年|即《すなわ》ちお菊《きく》が十三の八月まで生きてその月の中旬《なかごろ》に死んだ。与右衛門はもう年をとっていたし、女《むすめ》も大きいので養子をして隠居しようと思って、今度死んだ女房の甥《おい》の金五郎《きんごろう》と云うのを養子にもらってお菊と夫婦にしたところで、翌年の正月の四日|比《ごろ》からお菊が怪しい病気になり、二十三日になると口から泡をふいて床の上をのたうちまわって、
「苦しい、苦しい、何人《だれ》ぞいねえのか」
 と、云い云い気絶した。与右衛門と金五郎が傍《そば》へ往って介抱していると、お菊は呼吸《いき》を吹きかえしたが与右衛門をぐっと睨《にら》みつけた。
「おのれは、よくもよくも絹川で、わしを殺したな、わしはお菊じゃない、わしは二十年前に、おのれに殺された累じゃ、※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]な女子《おなご》を女房にもらうために、わしを殺したから、おのれの女房は、皆とり殺した、これからおのれの命をとる番じゃ」
 与右衛門は驚いて法蔵寺へ逃げ、金五郎は親の許《もと》へ逃げて往った。その晩は二十三夜で村の者が隣家に集まっていた。村の者はお菊のことを聞いて与右衛門の家へ往った。お菊は村の人を見るとまた叫んだ。
「わしは与
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