「皆、嘘ばかりじゃ、ありゃあ小八さんと云いあわして、云っていることじゃ」と、主翁は冷やかに云った。
五
亡者宿の主翁と小八の紛争は、家主では解決が着かないようになったので、遂に町奉行所へ持ちだした。
奉行の某は関係人一同を呼びだして調べにかかった。亡者宿の主翁は飽くまでも亡者のことは知らないと云いはった。
奉行は笑いながら云った。
「立山の麓に亡者宿と云うものがあって、足の在る幽霊を家に抱えて、客の好みによって見せると云うことは、今はじめて聞いたことではない、吾等の近づきにも、その幽霊を見たと云う者があるが、それでもその方は知らぬと申すか」
主翁はふと我家へ探索の手が廻ったので、奉行があんなことを云うかも判らないと思った。主翁の顔色はすこし変った。
「……どうだ、その方はどうしても知らぬと申すか」と、奉行はいかつい眼をして主翁を見おろした。主翁の心は顫えた。主翁は思わず頭をさげた。
「恐れ入りました」
「そうだろう、足のある幽霊を抱えてるだろう、愚民を惑わして金銭を詐取するとは、不届至極の奴なれども、今日は格別の取計らいによって、宥しつかわす、早速故郷へ帰って、その幽霊どもに暇をやって、正道の宿屋家業をするが宜い、もしこの詞を用いずに、また幽霊を召抱えて人を惑わすようなことがあれば、今度はその方をほんとの足のない幽霊にするぞ」
「恐れ入りました」
「然らば小八とやらの伴れて来た幽霊にも、この場において暇をやり、小八には欺き執った金を返すが宜い」
「恐れ入りました」
主翁の右側に坐っていた小八は得意そうに笑って見せた。
六
奉行所をさがった一同の者は家主の家へ往った。
亡者宿の主翁は一両の金と、女に暇をやる証拠の書類《かきもの》を小八に渡した。
そうなると二人の間の感情もさらりと解けた。その夜家主の家では家主老夫婦が仲人になって、小八と女に婚礼の盃をさした。亡者宿の主翁もその席に連っていた。小八には何時の間にか幽霊小八と云う綽名が出来ていた。
底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年初版発行
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年7月24日作成
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